突然寝起きが良くなった

 なぜだかわからないが、ある日を境に目を覚ますとぱっと行動できるようになった。起きてすぐ身体を動かすことが出来る。非常に意識がクリアになったというか、また眠ろうとは以前ほど思わなくなった。
 
 以前は起きたら
 「……??? ……? ――あ、う?」
 とこんな感じだったのが、今では
 「! 起きた! 今何時かな?」
 とこの変わりよう。実に不思議だ。特に食生活や寝る時間を変えたわけではないのに、なんでこんなに変わってしまったのだろうか? 寝起きが悪いのは子供のころからずっと同じだったのに。脳の中で何かが変化したのだろうか?
 
 ある日を境に、と書いたがその日の夢は実に不思議な夢だった。簡単に言うと、殺し屋から逃げていた夢だ。夢の中で命の危険を感じたため、意識がクリアな状態が起きても持続しているようになったのだろうか? 書いてて何がなんだかわからなくなってきた。とりあえず歓迎すべき変化である。
 
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川端裕人「せちやん 星を聴く人」

 今日、三時間で川端裕人氏作「せちやん 星を聴く人」を読んだ。川端裕人の小説は文庫本ならば全て持っていて、どれも非常に楽しめた。ちょっと昔の、人間がテーマの真面目で重厚な小説を読んだあとは、川端氏が書くような取材や知識に裏付けられた、現代の感性や事実を背景にした小説を読んでみたくなる。ご飯もいいけど、パンもね、みたいなイメージ。いつも氏の小説は何日かに分けて読んでいるのだが(とくに理由はないが何故かそうなる)、「せちやん」は読んでいて本から目を離せなくなり、自然と一気に読めてしまった。

せちやん


 文庫の裏表紙の紹介文を中途半端に読み、帯のあおり文を読んだら「星を観察する中年にあって、触発されて天文学者になったり、表現者になったり、まあそんな青春物なのかな〜」と安易に予想していた。また作品の前半部分まで読み終わっても、そう信じて疑わなかった。さらにいつも変わった設定と展開でお気に入りの川端裕人氏なのだが、今回はさぼったか!? と疑ってしまったほどだ。へー、ノスタルジィとロマンチック掛け合わせた量産品って具合に。氏よ、ごめんなさい。
 
 
 さて、裏表紙の紹介文は以下の通り
 
 
 学校の裏山にぽつんと建つ摂知庵(せちあん)という奇妙な家。少年三人組はそこで神秘的な中年男と出会った。銀色のドームに籠もり、遠い星に思いを馳せる日々。「宇宙」に魅せられた少年たちはそれぞれ大きな夢を追いはじめた。しかし大人になって見上げる空は、ときに昏(くら)く……。切なくほろ苦い青春の果てを描く傑作小説。

 
 まあ、そんな話なんです。で読後の感想なんですが……
 
 
 
 暗い……
 
 
 
 話が進むにつれて、どんどん寂しくなる。一人になっていく。読むものは、それが変に快感になり読むのをとめられなくなる。螺旋を下るように、ある一点に落ち込んでいくような感覚で、どこまでこの主人公が落ち込んでいくのか、見たくてしょうがなくなる。帯のあおり文にあった「詩人、天文学者、バイオリニストがなんちゃら」、というのが逆に効果的に作用する。そんな未来のはずだったのに…… 加速的に時間は流れる。主人公はどんどん年を取る。友人は死んでいく。財産も失う。古傷のある膝のせいで四十代にして杖をつく生活となる。
 
 初めに予想していた展開を裏切られた分、「読むはずじゃなかったストーリー」を読んでいるような感覚に陥る。あまりの急落ぶりに、自分が小説を見ている夢を見ていて、それでこんなに展開がおかしいんじゃないのか? と疑ってしまった。スピリチュアルだの、タウ星人だの、一見頭のおかしい連中が主人公にべたつくようになる。そんなものしかつかなくなる。でも結局スケールは違えど、相似であることに気がつく。宇宙に取り付かれたもの、スピリチュアルに取り付かれたもの、アニメの設定と人類の救済に取り付かれたもの、みんなそれらに自己を預けている。
 
 「汎庸な精神をもってただ耳を澄ますだけの人だった」と主人公はせちやんとなった自分を、そう評価する。結局、この一言に尽きるだろう。彼は、宇宙の漆黒の低温を、現実的に感じたのだ。それ以外意味はないと。文庫版の解説では、このセリフを青春小説のふうに解釈しようとしているが、自分には全くそうは思われない。かっこつけて表現するなら、これは青春小説などではなく、宇宙の冷たさがある人間の人生に降りてきたような、低温小説だと思う。
 
 ダイイング・メッセージと主人公が解釈したように、主人公が受信した宇宙からのメッセージ、が地球よりちょっぴり進んだ文明の地球に向けた遺言だったとすれば、宇宙からまた一つ隣人が消えたことになる。地球での隣人を失い、最後に身を預けた宇宙の隣人からもさよならを告げられたとすれば、これほど寂しい孤独はないかもしれない。
 
 で、今自分は就職活動に取り組もうとしている時期なのであるが、こんなに暗い人生を見せられると凹む。つらい。二度も妻に(妻にしようとした女性を含め)逃げられる。こんな人生嫌です。孤独は嫌です。精神的な孤独、とかそういう高尚なものでなく、全方位的孤独、最高に暗い。この宇宙に出口がないように……
 
 
 
 
 
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武者小路実篤「真理先生」

 今時、武者小路実篤なんて読んでいる人なんているだろうか? 少なくとも自分の周りには一人しかいない(一人もいる! ……か?)。その友人の薦めもあって読んだ「友情」に非常に感銘を受けたので、実篤の別の小説も読んでみたくなり「真理先生」を読んでみた。

 この真理先生というお話は、裏表紙にも書いてあるが“善人”ばかり出てきて物語が展開していく。主人公の山谷は、自分で思ったとおりのことをしているが、それが周りに良い影響をもたらすような人間で、彼の行動を機軸に様々な人間模様が描かれている。読んでみたら、善人ばかりというキャッチフレーズは本当で、誰一人として悪い奴は出てこない。解説にも書いてあったかもしれないが、善人とは単に人が良いということではなく、自分の道に対して不断の努力と誠実さを持って歩いていく人間のことであろう。作中誰もが真剣で、誰もが誠実であった。

 さて、つまらない前振りはこの程度にしておいて――
 作品を読んでいて、題名は「真理先生」となっているが、どうも「馬鹿一」の方に焦点があっているような気がした。馬鹿一とは登場人物の名前のことであるが、別名「石かき先生」といい、石や雑草を馬鹿みたいに書くから馬鹿一、だったと思う。この石かき先生は自分も認めているように、誰からも馬鹿にされ軽蔑され、貧しく下手な画家、そして醜い老人。しかし、絵は下手ながらも誰よりも対象を愛し誠実に書く人間だった。これを真理先生は「これほど誠実に書かれた絵は見たことがありません」と見抜く。これは理想的だなあ、と思った。頭も弱く、醜い老人が誰かに認められ、更に感化され、個性の伸ばしていく様は実に理想的だと思った。
 
 ・努力を怠らない人間には必ず仕合せが訪れる
 ・誠実な人間は、誠実な人間に分かってもらえる
 ・良い人間の周りには良い人間が集まる
 ・良い人間が集まれば、更に切磋琢磨し向上する
 
 そんな理想がこの作品には込められているように感じた。そんな幸福がこの作品に込められているように感じた。馬鹿一はそれをある出来事をきっかけに享受していく様が描かれていたように思う。主人公を含めた周りの人間はそれを、自然に補佐しただけというか、なるべくして必然的に手を貸しただけなのだ。
 
 孤独に絵を描いていたはずの馬鹿一の自宅に、山谷と愛子とモデルの杉子が集まるシーンがある。そこでは互いに尊敬しあいながら、会話を交わす四人が居た。「今日、この室の美しさ」――馬鹿一が紙切れに書いた言葉であるが、上記にあるような幸福をはっきりと感じている瞬間であろう! 一つの頂点がここに垣間見える。――が、この頂点を迎えるには、馬鹿一は自分の宿命を悟らなくてはいけなかった。モデルの杉子が画家志望の稲田と恋に落ちたため、もう馬鹿一のために裸婦のモデルをやりたくないと言い出したことが起点となる。おそらく、この段階で馬鹿一は自分の宿命と、この出来事をすり合わせて、静かに悟ったのだと思う。杉子とは一緒にいることができない、やはり自分は石を描く画家だ、杉子は自分の絵に対して影響を与えたが、宿命はそれ以上の意味をもたせてはくれなかったのだと。以下、馬鹿一の言葉を引用する。
 
 
 「やはり僕は僕だ。僕以上のものにはなれない。
  僕は僕で満足するより仕方ない。やはり僕は僕の宿命を持っている。
  杉子さんが出てきても、僕の宿命はどうにもならないのだ。
  しかし僕の宿命に無関係とも思わないが、
  その点でこの石とそう違っているわけではない。
  僕はそれを悟る時が来たのだ。
  もう醜態を演じないですみそうだよ」
  
  
 これが馬鹿一にとっての「真理」であったのだろう。真理は必ずしも瞬間瞬間の幸せを導いてくれるわけではない。しかし真理を受け入れたとき、世界がさらに美しく見え、運命の残酷さに耐え、前進する気概となり、馬鹿一はまた石を描くのだろうと思う。

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労働基準法違反@大学

 今日は15時間大学に居た。実働15時間でないだけまだ救いがあるかもしれないが、拘束15時間は精神的にも体力的にもつらい。そりの合わない技官がいるが、今日は至極まっとうなことを言われ反論の余地もなく、自分は申し訳ないというだけだった。ただ他人の(教授の)意見に乗っかって安全を確かめた上での批判だったので、申し訳ないと言いつつも、どこか釈然としなかった。まだまだ大人になりきれていない証拠だろうが、そういうのには反射的に嫌悪感を覚える。でも今日は自分が悪い。

 そんなことをありつつ、最近はずっと大学に居る。研究もしているが、工学部らしく雑務に追われて時間が過ぎている気がする。時間が消費するが達成感がない。これは本当に最悪の気分だ。変にやる気を見せるとすぐ雑務が回ってくる。そしてフォローが少ない。これはちょっとつらい。幸い同期の連中は非常によく協力してくれているので助かるが、全体としては全く機能的ではないように思う。会社に出てもこんな毎日なのだろうか? もっと効率的かつ達成感のある状態であることを願う。
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昔の仲間との会合

 今日は大学時代のサークルメンバーと飲んだ。1,2ヶ月に一回このような会合を開くのだが、みんな少しずつ変わっていくのが解かって面白い。時間の流れを再確認できるような、そして懐かしくて嬉しくなる。それでもまだ学生の身分の自分にとって社会人の同期は、たくさんのものを背負っているようにも見え、大変だなあと思う気持ち半分、うらやましい気持ち半分感じてしまう。まあ、彼らに言わせてば「学生を満喫したほうがよいよ」ということだが、隣の芝は青く見えるのか、下手に学生やっている人よりも彼らの方が輝いて見える。食うために、現実と向き合って働いている姿は美しく感じる。白鳥と同じで見えないところで泣いたり努力したりしているだろうが、自分には美しく見える。
 
 社会人一年目の人は、頭の中の8割9割が仕事でいっぱいらしい。ある人は人間としてこれでいいのかな、とこぼしていた。一年目だからしょうがないよ、と言ったが、社会人にもなっていない自分の言葉はきっと空回りしてその辺にぽとと落ちたに違いない。自分もおそらく社会人になったらそう感じるんだろうな。
 
 この会合には大学時代に大変お世話になった方をゲストに招いているのだが、その方は大変見識に富んでいて会合に来て下さるたびに大切なことをいつも言ってもらっている。今日はふるさとについて話してもらった。「地方から出てきているやつは精神が違う」そう言っていた。「彼らは帰りたいのに、強がって帰れない。だからその辺の実家から通えるようなやつとは出発点が違う。いろいろ背負っているんだ」と。自分も東北のある田舎から出てきているため、涙が出そうになった。そして考えたくもないことを考えさせられた。それは実家をどうするか、ということ。いずれ両親は老いるし、本当に考えたくないが、祖父祖母は20年以内に死去するであろう。その時、おそらくだが自分はそのそばにいることはできないかもしれないのだ。死に目には会えるかもしれないが、その過程に携わることはできない。親孝行や、今まで受けた恩を返しきらないまま、激しい後悔の中、ただ涙を流すだろう。
 
 過去のエントリにも書いてあるが、私の両親は最も尊敬できる人物である。お金はないが、余りあるほどの愛情を受けて育てていただいた。それは本当に本当に宇宙で一番すばらしいものであると確信している。だから考えざるえない。私は田舎の家族に対して何が出来るのかと。

 話がそれたが、いろいろ考えさせられた今日の小さな会合でした。
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OS入れ替え奮闘

 今日は研究室で使ってるPCのOSを2000proに入れ替えた。あるCADソフトを利用するためにXP HOMEではダメだったためなのだが、予想以上に疲れた。まずドライバがない。ネットに落ちていない…… しかしこれは後輩の使っているPCのドライバを流用しなんとかなった。それからメールの入れ替え。これも初めてだったので、調べてからやった。そして何通かのメールを間違って消去してしまうはめに…… やばい。
 2日かかってやっと以前のような状態に戻った。今日は早く寝よう。
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大人のためのデッサン教室「光り物」編

 一つ前のエントリでも書いたが、忙しい。なかなか余計なことを考える暇がない。余計なことを考えるのを楽しみに生きている自分にとってはけっこうつらいことだ。それでも忙しいから充実している、ということもある。こちらも感覚としては悪くないが、時間が早送りで進められている気がして、振り返ったときにあまり心地の良いものではないことが多い。

 さて、先週の日曜もデッサン教室に行って来た。その日は先週に書いた「花瓶と花」の花瓶に濃淡をつけた。花瓶は瀬戸物であったが、白くてとても難しい。デッサンで難しいというのはコントラストが解かりづらいということだが、つまり見えづらいということ。花瓶は白いので、何かが反射してきたり、影が映りこんできたりと様々なコントラストが見える。けど最初は全然わからなかった。「見えますか?」と聞かれて「見えません……」と答えて、先生を閉口させてしまった。
 
 ただ慣れとは恐ろしいもので、一度なんとなく見えてしまうと、その後もなんとなく見えてくるものだった。この日のデッサンは非常に簡単なコントラストだけで花瓶を表現したが、「なかなかよいですね」と言われて上機嫌に。

 こういう花瓶のような白いものは淵が光っていることに気が付いた。光っているというよりも白い。モチーフの奥行き方向から光が差し込んでいるのだ。これをうっすら表現すると、花瓶がたちまち奥ゆきを持つようになった。すごく不思議。デッサンはほんのちょっとの表現の違いで本物のように見えたり、二次元的な薄っぺらい絵に見えたりする。先生もそんなことを言っていた。

 つぎはワインの瓶。また「光り物」だが、これは左右対称。実に書きにくい。左右対称なものは左右対称に書かないと、小学生の書いたような絵になるので気が抜けなそうだ。
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最近のブログとかHPとか

 ちょっと放置気味。最近ちょっと研究室が忙しくなってきた。どうやらみんな一律に忙しいようで、研究室が汚い汚い。床に黒い謎の斑点、ゴミ箱からは異臭、洗面所は黄ばむで、トテモ研究を勤しむ空間とは言い難い。そこで今日、深夜にゴミ箱まわりの清掃をした。健気にも、床を水拭きまでして、しかしこれが意外と楽しい。拭いた分だけきれいになっていく過程が快感に感じるのだ! 研究が疲れてきたら掃除するといいかも。いい気分転換になりそうだ。

 小説サイトも開店直後から少しほうっておいてしまっている。今新しい小説を書いているのだが、なんとか良いものを、と欲張りな感覚が存分に暴れまわっており、なかなか世に出せないのです……
 
 悩むより書きまくった方がいいに決まっている。上達は数が勝負! ってのはわかってるんだが、これがね、なんとも……
01:09 | 日常 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

北朝鮮の核実験について

 ついにやってしまったか、という漠然とした感想。
 北朝鮮核実験
 
 核実験をやるぞ! という脅しだけでは済まず、何の躊躇もなくやってしまった。きっとアメリカは頭の痛い思いをしているだろう。またこっちもか、みたいに。これ以上の制裁は"宣戦布告"とみなす、とも宣言している。瀬戸際外交もここまでくると、断壁波打ち際外交というか、追い詰められて追い詰められれ、こっそり研いできたナイフを持ち出したような感覚である。
 
 きっと北朝鮮は信頼されない。これまでの自分勝手な枠組み脱退などからして、仮にこれから国際社会になんらかの方法で復帰したとしても信頼されないだろう。信頼されるとしたら、首が変わるか国が変わるかしかないと思う。これを将軍様は悟ったのではないか?
 
 そう、もしかしたらけっこう自暴自棄なのかもしれない。首も軍部も。先に絶望があるから考えるのをやめたのかもしれない。そこに信仰のように存在した技術…… 現実の外交では使ってはならない最後の手段、それに手をつけたのではないか?
 
 よくを持つ国はアメリカの攻撃対象にはならない、とされている。アメリカが戦争をしてまでもリスクを負うにはリターンが少ないから、と考えているかもしれない。けれどこのは明確にアメリカ(と同盟国)に向いている。ついでに長距離ミサイル技術も持っているようなしぐさを見せている。これってアメリカにとって相当現実の武力に見えるんじゃないだろうか?
 
 腫れ物のように扱われる北朝鮮
 放っておいても偽金、麻薬、ミサイル技術不正輸出
 外交しようにも、瀬戸際外交
 時間稼ぎしていたら核実験
 どうすんの? この迷惑国家……
 
 朝日新聞は社説にて、最終目標はを放棄させることだ、としているが、いかがなものか? 偽金はどうする? 麻薬はどうする? ミサイル、人権問題は? この新聞、完全に思考停止している。朝日の論調が左よりだ、とかそういった高尚な内容を論じているのではない。ただ内容が無い、と指摘したいだけだ。愕然としてしまったのは社説の次の文――
 
「十数年がかりの努力が水泡に帰してしまったのか。無念というよりない」

 無念だってさ。少なくとも現実の政治は無念というよりない、なんて言ってられない。現実の対策をとらなくてはならない。北朝鮮を非難しなければならない。
行動をして、結果責任をとらなくてはならない。それに比べたらなんと無責任な書き方だろうか。社説文全てを読んでも国際社会で結束していくしかない、とか知恵を絞らなくてはならない、とか交渉しなければ事は先に進まない、とか、校長先生のあいさつ並みの内容の無さだ。

 対照的に、日経新聞では社説にて"現状では厳しい経済制裁以外に効果的な手段が見あたらない"とはっきり書いている。そして寒気がするような次の主張――
 
 米軍が介入し、自衛隊が後方地域支援をする「周辺事態」も視野に入れる事態を覚悟しなければならない可能性もある。北朝鮮が再三にわたり、経済制裁を宣戦布告と見なすと表明しているからだ。


 つまり日本が戦争に巻き込まれることを考えなさいってことだ。今までこんなことが言われたことがあっただろうか? あれだけ嫌がっていた戦争、もうこんな近くまで来ているのだ。はっきり言って最高に恐ろしい。友人に自衛隊員が何人もいる。彼らの安全を願ってやまない。けれど、新聞はその危機感を言葉にしなくてはならないんだと思う。戦時のジャーナリズムから学ぶべきことは、戦争という言葉を、全く拒絶することではないはずだ。
 
 いま重要なのは国際的連携であり、日米同盟の抑止機能の強化である。と日経が最後に謳っている。国際社会の結束がゴールなのではなく、結束による制裁強化が目的であると主張しているのだ。私はこういう語り方が責任をもつ語り方だと思う。だから日経を支持したい。
00:32 | 主張 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

清水寺にフィギュア持ち込むのやめれ〜

ネットで満席だったが、JRみどりの窓口であっさり夜行バスのチケットを買えたので、その日に買ってその日に京都へ。夜行バスは前評判通り、寝られね……。腰が痛くなるね……

さて7時に京都駅についたので、さっそくバスで清水寺へ。腹減ったので、途中でご飯を食べようにも朝早すぎてどこも開いてない。しかたないので、清水寺は入った。

そこで目を疑いたくなるものを見てしまった……


ん……なんだアレ……
フィギュア? 巫女さんの?
しかも等身大!

アニメっぽいフィギュア清水寺の門の前に置いてあった。
どうした清水寺…… もしかして観光客に媚びているのか?
それどころかドン引きだぞ。

と思ったが、しばらくしてこのフィギュアなくなっていた。あれ? 清水寺のものじゃなかったのか、と思ったが、それの上を行く現実が待っていた。



サングラスの男が、巫女フィギュアをつれて歩いていた……
目を疑った。
フィギュアを抱いて清水寺を歩く男。
清水寺の職員も困惑を隠せない。

「なんだろうアレ……」
「入場料二人分とっちまうか?」
苦笑。


その後、サングラスの男は巫女フィギュアを置いてトイレに入っていった。
さすがに男子トイレには連れて行けないらしい。
14:50 | 日常 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

そうだ京都へ行こう!

この三連休なにしようか〜





そうだ! 京都へ行こう。
全然ノープラン。書店で観光雑誌一冊買って、さっさと行ってしまおう!
泊まるところもビジネスホテルか漫画喫茶くらいあるだろう。
修学旅行で一番感動した金閣寺目指してとりあえず行ってみよう。
三島由紀夫の金閣寺なんか新幹線の中で読みながら行っても面白いかもしれない。


そうだ! 京都へ行こう♪


このエントリを書こうとしたら三回も消えた。
書いてる途中で、妙な更新が入ってテキストデータが消えてしまった。
最初からメモ帳みたいな、PC側の方で書けばよかった。
しかし一回書いたものがあっさり消えるところも、便利さと表裏一体な怖いところ。
気をつけよう。

15:45 | 未分類 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

これから

 某ラジオ局バイトから身を引き気味。十月から新体制でやってもらいます。自分は就職活動とか研究に時間を使いたい所存であります。
 もっと勉強しないとだめだなあ。面接で自分の研究の意義や理論をどうどうと説明できないと、具体的に損だ。あ〜あ〜自分がんばれ!
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久しぶりの激怒@研究室

 今日は雨。しとしとしとしと。
 洗濯物がたまっていくのが嫌だなあ。

 今日は研究室の技官の自分勝手な発言のせいで大変不愉快な思いをした。これから実験器具を作ろうとしているときに、いちいちどうでもいいような文句ばかりつけてくる。また計算できないような誤差まで、いちいち突っ込んで、それがどのように影響してくるのか計算しろとかわけ解からんことを言う。それが計算できたらシミュレーションいらないっての>< それにこの実験器具は、木製の手作りだからどうやっても誤差が生じる。また現象を確認するだけでいいので、そこまで深刻なものでもないのに。
 この技官が指摘する問題はどれもどうでもいいような問題なのに、さも重要そうに言ってくるので腹が立った。そして批判するだけ批判して、議論をちっとも前に進めようとしない。知識の足りない学生を諭しているつもりなのか? どうでもいい問題を繰り返し、ぐるぐると堂々巡りで指摘し(ホント同じことを何回も何回も言うんだ;;)、今作る実験器具とは全く関係ない話まで持ち出して批判するもんだから、遂に「そんなこと今話してもしょうがないです」と少し怒りを表にだして言ってしまった。そしたら意外とおとなしくなった。言ってみるもんだ。
 
 こんな人間が、会議に参加していたら、と想像するだけで背筋がぞっとする。何も提案しないわりに、現在話が進んでいることに対して批判ばかりする。一見理屈で攻めているように見えるが、少し突っ込んで聞き返すと四苦八苦しているのがわかる。なんだこの人は… ただ批判して自分が場の上位に居たいだけなのかもしれない。
 それと今全く関係ない話をして、議論を停滞させるのも最高に我慢ならないことだ。その内容は確かに自分にとって痛い内容なのだが、今持ち出されて、努力不足や道徳的に批判されても困り者だ。
 
 友人にいわせると「あの人はおっきな子供だからテキトウにあしらっとけばいいんだよ」らしい。でも理不尽なことを言われると自分は、どうも我慢ならないときがある。流せばいいんだよ、と言われることもあるがどうも流せない。ぶつからないと気がすまないときがある。別に相手を正そうとかそんな理性的ななものではなく、ただ怒りを表現したい。本当に怒ってるんだって。
03:15 | 日常 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

やっぱ内にこもってちゃいかんな〜という話

 友人と久しぶりに飲んだ。最初お誘いがあったときは全然乗り気じゃなかったけど、最近内にこもってるなあ、と感じていたので多少無理してでも行くことにした。
 飲んでる途中で、やはり人間は人間の中で生きていった方が、明るく生きれるのかもなあ、なんて思った。一人だと余計なことばかり考えてしまうし、なんというか明るくない。これは自分の場合だけかもしれないけど。
 友人宅では、その友人の彼女も来ていたのだが、実に自然にその輪の中に入れてて"いいな〜"なんて思った。
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