自己分析03 大学一年初期
11/28/2006 (Tue)
寮生活。
一年目は寮でいいや。そんな安易な気持ちで寮に入ることにした。初めて寮に入ったときは恥ずかしながら母と一緒だったのだが、母はあまりの汚さに閉口していた。自分としては一人で暮らせればよかったので、母の反対を押し切って入寮した。
三人部屋だった。
同室は一つ上の先輩。なかなか気さくな人ですぐに仲良くなれた。初めて麻雀を教わったのもこの人からだ。
大学が始まるやいなや、約一週間に及ぶ歓迎会が始まった。この一週間は毎晩夜になると一年生は先輩の部屋などを周り、自己紹介と酒を飲まされる。酒はこのとき初めて飲んだ。大声があちこちで響く。奇声。笑い声。叫び声。人間ここまでおかしくなれるのか、と思った。寮のあちこちには新聞紙が敷かれた。吐しゃ物で廊下を汚さないためだ。自分は初めて酒を飲んで吐いたのも、このときだ。
嫌だったけれど、楽しくもあった。みんながみんなバカになっていて、全然悪くない。不思議な高揚感。古臭いけど、本当に良かった。
友達もなんとなく増えていった。ぽつぽつと。
けれど、やはり一人の時間が絶対に欲しかった。三人部屋では一人の空間がベッドくらいしかなく、正直狂いそうだった。それとある友人にずっと付きまとわれた。何するにも自分を誘ってきたので、本当に嫌だった。寮の嫌なところはプライベートが保障されていないところだ。一人部屋だったらずっといたのになあ。カーテンを自分の机の周りに張ったりしたが、どうも落ち着かなかった。
食堂のおばさんにはお世話になった。デザートを増やしてくれたり、おいしい味噌汁の作り方を教わったり、世間話もたくさんした。けれど食堂は、自分が入った年で廃止となってしまい、これも寮を出て行くきっかけになった。
食堂さよなら会のようなものをすることになり、自分はお世話になったので運営として参加することにした。そこでリーダの女性と知り合って軽く惚れたが、ろくに話もせずに別れてしまった。もっと自分に勇気があればなあ。彼女は見事にろくでもない男共を取り扱って、お別れ会を成功させた。立派であった。
寮生が食堂の廃止を決定し、そのお別れ会をやるというのは不思議な気分だった。食堂のおばちゃんたちはこれまでの職を失うわけである。食堂廃止の理由――利用しない者まで運営費を払うのは納得できない。確か1,000円くらいの負担である。もともと8,000円程度の寮費である。それぐらい払ってやれよと思った。食堂のおばちゃんはどういう気持ちだったのだろうか? 内心裏切られたと思ってやしないだろうか?
一年目は寮でいいや。そんな安易な気持ちで寮に入ることにした。初めて寮に入ったときは恥ずかしながら母と一緒だったのだが、母はあまりの汚さに閉口していた。自分としては一人で暮らせればよかったので、母の反対を押し切って入寮した。
三人部屋だった。
同室は一つ上の先輩。なかなか気さくな人ですぐに仲良くなれた。初めて麻雀を教わったのもこの人からだ。
大学が始まるやいなや、約一週間に及ぶ歓迎会が始まった。この一週間は毎晩夜になると一年生は先輩の部屋などを周り、自己紹介と酒を飲まされる。酒はこのとき初めて飲んだ。大声があちこちで響く。奇声。笑い声。叫び声。人間ここまでおかしくなれるのか、と思った。寮のあちこちには新聞紙が敷かれた。吐しゃ物で廊下を汚さないためだ。自分は初めて酒を飲んで吐いたのも、このときだ。
嫌だったけれど、楽しくもあった。みんながみんなバカになっていて、全然悪くない。不思議な高揚感。古臭いけど、本当に良かった。
友達もなんとなく増えていった。ぽつぽつと。
けれど、やはり一人の時間が絶対に欲しかった。三人部屋では一人の空間がベッドくらいしかなく、正直狂いそうだった。それとある友人にずっと付きまとわれた。何するにも自分を誘ってきたので、本当に嫌だった。寮の嫌なところはプライベートが保障されていないところだ。一人部屋だったらずっといたのになあ。カーテンを自分の机の周りに張ったりしたが、どうも落ち着かなかった。
食堂のおばさんにはお世話になった。デザートを増やしてくれたり、おいしい味噌汁の作り方を教わったり、世間話もたくさんした。けれど食堂は、自分が入った年で廃止となってしまい、これも寮を出て行くきっかけになった。
食堂さよなら会のようなものをすることになり、自分はお世話になったので運営として参加することにした。そこでリーダの女性と知り合って軽く惚れたが、ろくに話もせずに別れてしまった。もっと自分に勇気があればなあ。彼女は見事にろくでもない男共を取り扱って、お別れ会を成功させた。立派であった。
寮生が食堂の廃止を決定し、そのお別れ会をやるというのは不思議な気分だった。食堂のおばちゃんたちはこれまでの職を失うわけである。食堂廃止の理由――利用しない者まで運営費を払うのは納得できない。確か1,000円くらいの負担である。もともと8,000円程度の寮費である。それぐらい払ってやれよと思った。食堂のおばちゃんはどういう気持ちだったのだろうか? 内心裏切られたと思ってやしないだろうか?
自己分析02 高校三年〜大学一年初期
11/27/2006 (Mon)
さて、自己分析といえどとりあえず何から手をつけようか。一通り過去を振り返るのも悪くない。高校三年生から大学一年のあたりからやってみようか。
現在の大学を選んだ理由は
・都心に近い
・かといって東京ではない(東京は怖いという先入観より)
・人数が多くいるので活気がありそう
・工学部へ進んだが、工学をやりたいからといって進んだわけではない
・サークル活動の方が興味があった
・何か物語を書きたかった
・不自由な田舎から早く出たかった
・高校生活が本当に嫌だった、リセットしたかった
大なり小なりの理由を書くと、こんな感じか。
田舎者にとって東京は怖いし、生活費はかかりそうだし良いイメージはなかった。けれど都会に出てみたかった。偏差値との折り合いもあり、ある種妥協の産物として現在の大学に進学した。正直学科はどこでもよかった。経済でも文学部でも。けれど悲しいことに(?) 数学と物理がそこそこできたため工学部に進学した。ちなみに国語はまったくできなかった。
そう、サークル活動がしたかった。高校の数少ない友人には「俺は大学に行ったら演劇部に入る」と言っていた。大学に行けば、もっと自由になれると思っていた。友人からも家族からも兄弟からも土地からも、帰宅時間の制限からも! きっと何しても良い時間があってそんな友人がたくさんいて、もっと人の中で生活ができると漠然と考えていた。今思えば、高校生活がひどかったため、そんな風にこれからの生活に希望を持てたのだろう。高校時代は勉強が嫌で嫌で、陸上部の監督とも折が合わず退部し、はっきり言ってすさんだ生活をしていた。部活をやめてから、なにか別の部にでも入ればよかったのに(入ったが科学部)、ずいぶんと無駄な時間を過ごした。この間、実にたくさんの漫画を読んでいた気がする。
話は戻ってサークル活動。自分の中での大学のイメージ。桜が散りかけた大学のメインストリートでたくさんの大学生が勧誘していた。本当に明るい未来を予感した。これで人の中に入れて、思うがままに活動できる。
演劇サークルももちろんあった。そこに入ろうかと決めたが、もう少し見回った。そしたら一つ、心惹かれるサークルがあった。「管弦楽団」。直感的にバイオリンをやろうと思った。楽器ができたら人生がもっと面白くなるような気がした。それに不純な動機もいくつかあり、楽器できるとかっこよいとか、女性がたくさんいそうという意味でも選んだ。
高校生活の真逆がここにあると思った。ジブリ映画の「耳をすませば」も大いに影響を与えた。
なんか、事実だけ書いてるような淡白な文面だが、しばらくお付き合い願いたい。
現在の大学を選んだ理由は
・都心に近い
・かといって東京ではない(東京は怖いという先入観より)
・人数が多くいるので活気がありそう
・工学部へ進んだが、工学をやりたいからといって進んだわけではない
・サークル活動の方が興味があった
・何か物語を書きたかった
・不自由な田舎から早く出たかった
・高校生活が本当に嫌だった、リセットしたかった
大なり小なりの理由を書くと、こんな感じか。
田舎者にとって東京は怖いし、生活費はかかりそうだし良いイメージはなかった。けれど都会に出てみたかった。偏差値との折り合いもあり、ある種妥協の産物として現在の大学に進学した。正直学科はどこでもよかった。経済でも文学部でも。けれど悲しいことに(?) 数学と物理がそこそこできたため工学部に進学した。ちなみに国語はまったくできなかった。
そう、サークル活動がしたかった。高校の数少ない友人には「俺は大学に行ったら演劇部に入る」と言っていた。大学に行けば、もっと自由になれると思っていた。友人からも家族からも兄弟からも土地からも、帰宅時間の制限からも! きっと何しても良い時間があってそんな友人がたくさんいて、もっと人の中で生活ができると漠然と考えていた。今思えば、高校生活がひどかったため、そんな風にこれからの生活に希望を持てたのだろう。高校時代は勉強が嫌で嫌で、陸上部の監督とも折が合わず退部し、はっきり言ってすさんだ生活をしていた。部活をやめてから、なにか別の部にでも入ればよかったのに(入ったが科学部)、ずいぶんと無駄な時間を過ごした。この間、実にたくさんの漫画を読んでいた気がする。
話は戻ってサークル活動。自分の中での大学のイメージ。桜が散りかけた大学のメインストリートでたくさんの大学生が勧誘していた。本当に明るい未来を予感した。これで人の中に入れて、思うがままに活動できる。
演劇サークルももちろんあった。そこに入ろうかと決めたが、もう少し見回った。そしたら一つ、心惹かれるサークルがあった。「管弦楽団」。直感的にバイオリンをやろうと思った。楽器ができたら人生がもっと面白くなるような気がした。それに不純な動機もいくつかあり、楽器できるとかっこよいとか、女性がたくさんいそうという意味でも選んだ。
高校生活の真逆がここにあると思った。ジブリ映画の「耳をすませば」も大いに影響を与えた。
なんか、事実だけ書いてるような淡白な文面だが、しばらくお付き合い願いたい。
業界研究01
11/24/2006 (Fri)
11時から1時半までバイオリンの練習。無心になれて楽しい。下手だけどね。さて最近は研究が煮詰まってきたのと、就職活動本格化で頭がいっぱいな日々。まじでどうしよ……って思ってます。
研究が何とか這いつくばって、無理やり前に進めようとすればいいんだけど、就職、ホントどうしようか。どこの業界に就職すれば幸せなんだろうか? 昨日一つ思考実験をしてみた(実験というほどたいしたものじゃないが)何のテストも面接もスキルの必要もなく、好きな業界に入れるとしたらどこだろうか、と。
そしたら、やはり物語を作る職業に携わりたいと思ったり、チームワークで仕事を進めるような業界に行きたいと思った。常に感動していたい。
出版、映画、商社。具体的な企業名は思いつかないけど、少し絞れてきたかな。
研究が何とか這いつくばって、無理やり前に進めようとすればいいんだけど、就職、ホントどうしようか。どこの業界に就職すれば幸せなんだろうか? 昨日一つ思考実験をしてみた(実験というほどたいしたものじゃないが)何のテストも面接もスキルの必要もなく、好きな業界に入れるとしたらどこだろうか、と。
そしたら、やはり物語を作る職業に携わりたいと思ったり、チームワークで仕事を進めるような業界に行きたいと思った。常に感動していたい。
出版、映画、商社。具体的な企業名は思いつかないけど、少し絞れてきたかな。
文系就職の可能性アリ
11/23/2006 (Thu)
研究室で文系就職が流行っている。自分もコレを流行らせるのに大いに活躍した(なんだそれは
単純に言うと理系の道に進みたくない、ということだ。理系の道とは研究開発・設計などを指す。理系要素があるのは構わないが理系100%のようなところには行きたくなくなったなあ、という考えだ。
先日、とある大規模な企業説明会に行ってきた。そこで開発の人に「大学の研究室と企業の研究開発はどのように違うのですか?」と尋ねたところ「基本的に一緒。延長線上だと考えて」と答えが返ってきた。
肩ががくっと落ちたのと同時に、やっぱりなという不思議な感触もあった。この生活の延長線上か……。ずっとそれを続けると考えた時、できないなと思ってしまう。研究が嫌いということではなくて、研究生活が苦手ということ。もっと人の中で生活がしたいなあ、とどうしても考えてしまう。そりゃあ、うまくプログラムが書けたり、数式を理解したときには興奮を覚えて感情が強く動かされることはある。けれど、もっと人と一緒に仕事したいし、生活がしたい。うまくまとまらないけど、そういう感じだ。
単純に言うと理系の道に進みたくない、ということだ。理系の道とは研究開発・設計などを指す。理系要素があるのは構わないが理系100%のようなところには行きたくなくなったなあ、という考えだ。
先日、とある大規模な企業説明会に行ってきた。そこで開発の人に「大学の研究室と企業の研究開発はどのように違うのですか?」と尋ねたところ「基本的に一緒。延長線上だと考えて」と答えが返ってきた。
肩ががくっと落ちたのと同時に、やっぱりなという不思議な感触もあった。この生活の延長線上か……。ずっとそれを続けると考えた時、できないなと思ってしまう。研究が嫌いということではなくて、研究生活が苦手ということ。もっと人の中で生活がしたいなあ、とどうしても考えてしまう。そりゃあ、うまくプログラムが書けたり、数式を理解したときには興奮を覚えて感情が強く動かされることはある。けれど、もっと人と一緒に仕事したいし、生活がしたい。うまくまとまらないけど、そういう感じだ。
論文検索
11/23/2006 (Thu)
いじめによる自殺とそれ以外
11/20/2006 (Mon)
「いじめ、かっこ悪い」
こんな言葉が流行った時代がかつてあった。もう十年も前の話だ。もしかしたら、今頃文部省で、この標語に次ぐ言葉がひねり出されているかもしれない。非常にシンプルで直球な表現で「いじめる側」に問いかけている。最近では、この傾向が逆になり「いじめられる側」に問いかけるようなフレーズが目立つ。「命を大切に」「君は愛されている」「あなたが大切だ」など。
現在、日本で自殺者は年間32,000人ほどいるらしい。一日88人の計算だ。交通事故での死亡者が年間8,000人らしいので、その四倍。知り合いに交通事故死が出るよりも自殺者が出る確率の方が高い計算だ。幸い自分はそのどちらの知り合いもいないが。しかし、いじめによる自殺は、この中では圧倒的に少ない割合であるにもかかわらず注目されている。自殺の理由がはっきりしており、自殺する側にあまり否がないように見え、なおかつ未成年であるため注目されるのだろうと思う。
ただ、社会はこの自殺を許さないらしい。負債を背負って自殺する人や、学校の不祥事で自殺する校長が出ても、それほどセンセーショナルには報じられないし語られない。これらはどこかしょうがない、と心のどこかが判断しているのだろうか? 子供のいじめを苦にした自殺の方が、畏怖するべきもので根絶しなければならないという強制力が働いているようにも見える。果たして、この扱いの違いはなんなのだろうか?
こんな言葉が流行った時代がかつてあった。もう十年も前の話だ。もしかしたら、今頃文部省で、この標語に次ぐ言葉がひねり出されているかもしれない。非常にシンプルで直球な表現で「いじめる側」に問いかけている。最近では、この傾向が逆になり「いじめられる側」に問いかけるようなフレーズが目立つ。「命を大切に」「君は愛されている」「あなたが大切だ」など。
現在、日本で自殺者は年間32,000人ほどいるらしい。一日88人の計算だ。交通事故での死亡者が年間8,000人らしいので、その四倍。知り合いに交通事故死が出るよりも自殺者が出る確率の方が高い計算だ。幸い自分はそのどちらの知り合いもいないが。しかし、いじめによる自殺は、この中では圧倒的に少ない割合であるにもかかわらず注目されている。自殺の理由がはっきりしており、自殺する側にあまり否がないように見え、なおかつ未成年であるため注目されるのだろうと思う。
ただ、社会はこの自殺を許さないらしい。負債を背負って自殺する人や、学校の不祥事で自殺する校長が出ても、それほどセンセーショナルには報じられないし語られない。これらはどこかしょうがない、と心のどこかが判断しているのだろうか? 子供のいじめを苦にした自殺の方が、畏怖するべきもので根絶しなければならないという強制力が働いているようにも見える。果たして、この扱いの違いはなんなのだろうか?
自己分析01
11/18/2006 (Sat)
友人がブログで自己分析をやっていると聞いたので、あわてて当ブログでもやることにした。
自己分析といっても、とりあえず大学時代の自分の考え方や好き嫌いなどを理屈っぽく言葉にして、それなりに説明をつけたりする程度だ。とりあえずそれからやってみたい。
自己分析といっても、とりあえず大学時代の自分の考え方や好き嫌いなどを理屈っぽく言葉にして、それなりに説明をつけたりする程度だ。とりあえずそれからやってみたい。
風邪ひいた
11/16/2006 (Thu)
本格的な風邪を引き中。
昨日、寝込み、寝すぎて眠れなくなったが頭が痛いので無理してさらに寝た。子供の頃はいくら寝ても、寝すぎて気持ち悪いということはなかったのに、最近ではしょっちゅうだ。寝すぎなければいいという話だが。
研究室でも風邪が流行っている。しかもけっこう強い風邪だ。秋が去って乾燥してきたから、菌も活動しやすいのかもしれない。
話は代わって就職活動。メールやら郵便物やら就職支援サイトの企業から、いろいろ届く。リクナビはほぼ毎日届くので正直、ちゃんと見ていない。
いったん帰るので、ブログは書き途中のまま放置
昨日、寝込み、寝すぎて眠れなくなったが頭が痛いので無理してさらに寝た。子供の頃はいくら寝ても、寝すぎて気持ち悪いということはなかったのに、最近ではしょっちゅうだ。寝すぎなければいいという話だが。
研究室でも風邪が流行っている。しかもけっこう強い風邪だ。秋が去って乾燥してきたから、菌も活動しやすいのかもしれない。
話は代わって就職活動。メールやら郵便物やら就職支援サイトの企業から、いろいろ届く。リクナビはほぼ毎日届くので正直、ちゃんと見ていない。
いったん帰るので、ブログは書き途中のまま放置
女優の志田未来さん「絶対にやめて。命を大切に」
11/13/2006 (Mon)
いじめ 女優の志田未来さん「絶対にやめて。命を大切に」
出演をきっかけに、命について改めて考え始めた。そこに、同世代が自ら命を絶つ事件が続いた。「今まではニュースで自殺と聞いても、『かわいそうだな』ぐらいしか思わなかった。でも『何でだろう』と考えるようになった」
私が生まれた時、お母さんは本当にうれしかったそうです。愛されているって思いましたね。だから自ら死を選ぶなんて考えられない。天国に行くとか、生まれ変わるとか、そういうのはないかもしれない。だから今を大切に生きようと思う」
「今つらい思いをしている人には自分が愛されていることに気づいてほしい。ドラマを通して愛情や命ってこんなに大切だと伝えたい」
以上が、女優志田未来さんの最近のいじめ自殺問題に対して語った内容。とても素直。きっと愛されてまっすぐ育ったんだなあと思う。変に理屈にこだわったメッセージよりも、届く人には届くのではないか。
その一方で届かない人には届くまい。当たり前のことだが。前もって断っておくが、志田未来さんのコメントにけちをつけるわけではない。自分が十四才のだった頃は、こんなにまとまったコメント、とても出来なかった。ただ、このコメントを読み、感じたことを書くだけだ。
届かない人には届かない。「自分が愛されていることに気づいてほしい」「愛情や命ってこんなに大切だと伝えたい」――このことはいじめられている当事者にとって、決定を覆すほど重要な問題なのだろうか? と疑問に思った。芸能活動などしていない学生にとって、「学校」というのは完全な、それ自体閉じた「世界」なのだ。そこで活動し、勉強し、評価され、優劣がつき、恋もする。休日には、別の場所に出かけるかもしれないが、週が始まればまた学校が世界なのである。自分の体験から判断しても、意外と親に愛されているかどうかというのは考えなかった。学校の中で愛されていなければ、それは世界からはみ出しているのと同じことだと思う。
家は休息し、食事と睡眠とテレビを見るところであって、基本的な社会はあちら側。子供が戦っているのは家ではなく、学校なのだ。子供が作っている社会は学校なのだ。いじめの問題を真剣に考えたとき、この現実を確かめる必要があるはずだ。
だとすると、どうしても「あなたは親に愛されているから、自殺はやめなさい」では、彼らを救うことにはなかなか繋がるまい。「命は大切だ」と言われても、社会から否定された自分の命は本当に大切で、誰かの役に立っていて、誰かに必要とされているのか? と疑問に思ってもしょうがない気がする。「愛されている、命は大切だ」という言葉は、自殺を寸前で、社会常識や道徳に照らし合わさせることで、食い止めたとしても自殺に繋がる道筋を絶っていることにはならない。いじめをなんとかしなくては。
だからみんな苦労している。「いじめ」をやめさせること、いじめの対象となること。これは努力しだいでなんとかなるものではない。まして未成熟な子供の間では、とても難しいだろう。「いじめはよくない」……これが言葉になりにくい。いじめという言葉は、自殺に比べてとてつもなく広い。そしていかようにも解釈可能だ。暴力がいけないのか、暴言がいけないのか、無視することがいけないのか、誰かを傷つけるということは、どのような行動の結果なのだろうか? こんな疑問に甘えて、その空気感を続ける。そうすると集団で誰かをいじめていることになる。誰も彼のことを救えない空気をつくること、これはものすごいいじめである。
最大のいじめとは、彼の世界を閉鎖させてしまうことであろう。あらゆる日常の空気感から。当たり前の好意や営みから。
そうすると、「生きられない」と考えてもおかしくない。けして出ることのできない拷問部屋にいるのと同じなのだ。多感な彼らにとってそのクラスで過ごす一年は、八十分の一年ではない。もっともっと大きなウェイトを占める時間だし、体感もずっとずっと長いに違いない。いじめを耐えた人たちは、きっと何か希望があったため耐えられたのかもしれない。何もない人なら耐えられない、と自分は思う。学校で作られる残酷な空気感。閉塞感。子供なのに自殺、なのではなく、子供だから自殺なのだ。
この閉塞感が問題だ。いじめといじめによる自殺を解決するためには、この閉塞感を打破する知恵が必要となる。具体的な行動が必要となる。14歳の女優が、文部科学大臣が、テレビのコメンテータが「命は大切だ」と講釈するよりも、ずっとずっと大事だ。
私が提案したいのは、子供たちは最低二つの共同体に所属するよう、大人が働きかけることだ。この二つの共同体は、お互いに完全に独立しており、一方がもう一方に影響を与えることがないようにする。またはそんな共同体の組み合わせを選ばないようにする。こうすることで、クラスでいじめられ、クラス員のいる部活でもいじめられる、のようなことをなくす。クラスがだめでも、地元のサッカークラブでは大丈夫。そんな回避場所を作ってやる。そういうのを社会の知恵として実践すればいいと思う。いじめから逃げるのをよくない、と思う人もいるかもしれないが、死んで永遠に逃げられるより遥かにマシであろう。なんだ、そんな当たり前のことか、と思うかもしれないがこの当たり前のことを当たり前として実践するのは、言葉にして言うよりもずっと大変だ。まして社会の知恵として共有するのも大変だ。
理念よりも、行動を。
出演をきっかけに、命について改めて考え始めた。そこに、同世代が自ら命を絶つ事件が続いた。「今まではニュースで自殺と聞いても、『かわいそうだな』ぐらいしか思わなかった。でも『何でだろう』と考えるようになった」
私が生まれた時、お母さんは本当にうれしかったそうです。愛されているって思いましたね。だから自ら死を選ぶなんて考えられない。天国に行くとか、生まれ変わるとか、そういうのはないかもしれない。だから今を大切に生きようと思う」
「今つらい思いをしている人には自分が愛されていることに気づいてほしい。ドラマを通して愛情や命ってこんなに大切だと伝えたい」
以上が、女優志田未来さんの最近のいじめ自殺問題に対して語った内容。とても素直。きっと愛されてまっすぐ育ったんだなあと思う。変に理屈にこだわったメッセージよりも、届く人には届くのではないか。
その一方で届かない人には届くまい。当たり前のことだが。前もって断っておくが、志田未来さんのコメントにけちをつけるわけではない。自分が十四才のだった頃は、こんなにまとまったコメント、とても出来なかった。ただ、このコメントを読み、感じたことを書くだけだ。
届かない人には届かない。「自分が愛されていることに気づいてほしい」「愛情や命ってこんなに大切だと伝えたい」――このことはいじめられている当事者にとって、決定を覆すほど重要な問題なのだろうか? と疑問に思った。芸能活動などしていない学生にとって、「学校」というのは完全な、それ自体閉じた「世界」なのだ。そこで活動し、勉強し、評価され、優劣がつき、恋もする。休日には、別の場所に出かけるかもしれないが、週が始まればまた学校が世界なのである。自分の体験から判断しても、意外と親に愛されているかどうかというのは考えなかった。学校の中で愛されていなければ、それは世界からはみ出しているのと同じことだと思う。
家は休息し、食事と睡眠とテレビを見るところであって、基本的な社会はあちら側。子供が戦っているのは家ではなく、学校なのだ。子供が作っている社会は学校なのだ。いじめの問題を真剣に考えたとき、この現実を確かめる必要があるはずだ。
だとすると、どうしても「あなたは親に愛されているから、自殺はやめなさい」では、彼らを救うことにはなかなか繋がるまい。「命は大切だ」と言われても、社会から否定された自分の命は本当に大切で、誰かの役に立っていて、誰かに必要とされているのか? と疑問に思ってもしょうがない気がする。「愛されている、命は大切だ」という言葉は、自殺を寸前で、社会常識や道徳に照らし合わさせることで、食い止めたとしても自殺に繋がる道筋を絶っていることにはならない。いじめをなんとかしなくては。
だからみんな苦労している。「いじめ」をやめさせること、いじめの対象となること。これは努力しだいでなんとかなるものではない。まして未成熟な子供の間では、とても難しいだろう。「いじめはよくない」……これが言葉になりにくい。いじめという言葉は、自殺に比べてとてつもなく広い。そしていかようにも解釈可能だ。暴力がいけないのか、暴言がいけないのか、無視することがいけないのか、誰かを傷つけるということは、どのような行動の結果なのだろうか? こんな疑問に甘えて、その空気感を続ける。そうすると集団で誰かをいじめていることになる。誰も彼のことを救えない空気をつくること、これはものすごいいじめである。
最大のいじめとは、彼の世界を閉鎖させてしまうことであろう。あらゆる日常の空気感から。当たり前の好意や営みから。
そうすると、「生きられない」と考えてもおかしくない。けして出ることのできない拷問部屋にいるのと同じなのだ。多感な彼らにとってそのクラスで過ごす一年は、八十分の一年ではない。もっともっと大きなウェイトを占める時間だし、体感もずっとずっと長いに違いない。いじめを耐えた人たちは、きっと何か希望があったため耐えられたのかもしれない。何もない人なら耐えられない、と自分は思う。学校で作られる残酷な空気感。閉塞感。子供なのに自殺、なのではなく、子供だから自殺なのだ。
この閉塞感が問題だ。いじめといじめによる自殺を解決するためには、この閉塞感を打破する知恵が必要となる。具体的な行動が必要となる。14歳の女優が、文部科学大臣が、テレビのコメンテータが「命は大切だ」と講釈するよりも、ずっとずっと大事だ。
私が提案したいのは、子供たちは最低二つの共同体に所属するよう、大人が働きかけることだ。この二つの共同体は、お互いに完全に独立しており、一方がもう一方に影響を与えることがないようにする。またはそんな共同体の組み合わせを選ばないようにする。こうすることで、クラスでいじめられ、クラス員のいる部活でもいじめられる、のようなことをなくす。クラスがだめでも、地元のサッカークラブでは大丈夫。そんな回避場所を作ってやる。そういうのを社会の知恵として実践すればいいと思う。いじめから逃げるのをよくない、と思う人もいるかもしれないが、死んで永遠に逃げられるより遥かにマシであろう。なんだ、そんな当たり前のことか、と思うかもしれないがこの当たり前のことを当たり前として実践するのは、言葉にして言うよりもずっと大変だ。まして社会の知恵として共有するのも大変だ。
理念よりも、行動を。
公園でスケッチ
11/09/2006 (Thu)
先週の日曜にスケッチしに公園に行った。天気もよく七五三の日と重なったこともあり、たくさんの人でにぎわっていた。しかし公園がとても広くスケッチ会に遅刻…… ごめんなさい>先生
その日は何を書いてもよかったので、秋らしく樹を描こうと思った。以前から樹はちょくちょく描いていたが、水彩は初めてだった。とにかく樹をたくさん描こうと思い、遠くに見える数本の樹を画面の中心にした構図を考えた。しかし、描いているうちにデッサンの量が非常に多くなったため、先生のアドバイスもあり樹は三本に絞ることにした。そうするとアラ不思議と、画面がすっきりし見やすく焦点が定まった。
「本物っぽさを出すためにも、樹だけはしっかりデッサンしましょうね」
と先生に言われたが、遠くにある樹をしっかりデッサンするのは思いのほか難しかった。樹の輪郭はけしてまっすぐではないのだが、描くとまっすぐで作られた輪郭のように見えてしまう。
この日はスケッチ会だったので、デッサンは中途半端だが、一時間程度で切り上げ水彩に手をつけることにした。絵の具の触ったのはいつ以来だろう? 高校のときに美術を選択したから高校二年以来か。もう五年も色を塗ったことがないことになる。人間としてコレはどうなのだろう(苦笑
色を塗る――この行為には非常に嫌なイメージがある。鉛筆画は好きだった。丁寧に書くとそれっぽく見え、それに鉛筆は何度も消せて気が楽だった。けれど学校の授業ではどうしても色をつけないといけない。それでしぶしぶ色を塗ると、適切な色をつけようとして何度も何度も混ぜて、やがて「汚い色」ができてしまう。そして時間がなくなり、結局その汚い色を塗り、改心の鉛筆画が台無しになる。ずっとこのパターンだった。
この日もデッサンが7割くらい出来上がったとき「それでは色を塗ってみましょう」と先生に言われて、その思い出が蘇った。かなりいやいや一生懸命色を作るが、樹の色は一向にでない。うーん、わかっていたけどつらい…… スケッチブックの端っこに試し塗りして確かめるが、どんぴしゃの色が出ない。またアノパターンか……、と悩んでいると……
「水彩の描き方はそうじゃありませんよ」
と先生。え? なんだって??
「水彩は何度も重ね塗りして、雰囲気を出していくんです。ちょっと貸してください」
そう言って、筆をとってすごく薄い色で
すごく適当に塗り始めた。せっかくデッサンした樹の輪郭は全然気にしていない。ばーっと。ホントにばーっと塗りなさった。まるで筆を初めて持った幼児なみに。
「こうやって気楽に。水彩の良いところは何度も重ねて塗れるところです。緑があるな〜と思ったら、ばーっと。ちょっと茶色っぽいな〜と思ったらばーっと。あまり濃いと直せなくなるので薄めに。最初からちゃんとした色を出すのではありません」
――目から鱗。今日の鱗の量は半端ではない。トラック三台分くらいは落ちてきたかも……。そうか水彩ってこう描くのか! 今までやってきたことはなんだったんだろう? 小学校の先生や中学校の先生は何を教えてくれたんだろう?? こういう気楽な楽しい描き方だったら、もっと色を塗ることが好きになったに違いないのに! このやり方は本当にすごい! 感じた色を塗っていけばいいのだ。それで少しずつ目の前にある樹に近づけていけばよい。そして大事なのは、先生も言っていたけど雰囲気を出すこと。細かいところに目を向けないで大きく塗る。コレが水彩だった!
先生の言うように色をつけて重ねていくと……!
ああ! 「絵」っぽい! すごい! 水彩画はすごいぞ!!!!!
これは感動もの!!!!!!!
絵を描くってこんなに楽しかったのか!!!!!!
というわけで、先日のスケッチ会は人生でそう何度もないであろう感動を味わったのでした。水彩ほんとオススメ。
その日は何を書いてもよかったので、秋らしく樹を描こうと思った。以前から樹はちょくちょく描いていたが、水彩は初めてだった。とにかく樹をたくさん描こうと思い、遠くに見える数本の樹を画面の中心にした構図を考えた。しかし、描いているうちにデッサンの量が非常に多くなったため、先生のアドバイスもあり樹は三本に絞ることにした。そうするとアラ不思議と、画面がすっきりし見やすく焦点が定まった。
「本物っぽさを出すためにも、樹だけはしっかりデッサンしましょうね」
と先生に言われたが、遠くにある樹をしっかりデッサンするのは思いのほか難しかった。樹の輪郭はけしてまっすぐではないのだが、描くとまっすぐで作られた輪郭のように見えてしまう。
この日はスケッチ会だったので、デッサンは中途半端だが、一時間程度で切り上げ水彩に手をつけることにした。絵の具の触ったのはいつ以来だろう? 高校のときに美術を選択したから高校二年以来か。もう五年も色を塗ったことがないことになる。人間としてコレはどうなのだろう(苦笑
色を塗る――この行為には非常に嫌なイメージがある。鉛筆画は好きだった。丁寧に書くとそれっぽく見え、それに鉛筆は何度も消せて気が楽だった。けれど学校の授業ではどうしても色をつけないといけない。それでしぶしぶ色を塗ると、適切な色をつけようとして何度も何度も混ぜて、やがて「汚い色」ができてしまう。そして時間がなくなり、結局その汚い色を塗り、改心の鉛筆画が台無しになる。ずっとこのパターンだった。
この日もデッサンが7割くらい出来上がったとき「それでは色を塗ってみましょう」と先生に言われて、その思い出が蘇った。かなりいやいや一生懸命色を作るが、樹の色は一向にでない。うーん、わかっていたけどつらい…… スケッチブックの端っこに試し塗りして確かめるが、どんぴしゃの色が出ない。またアノパターンか……、と悩んでいると……
「水彩の描き方はそうじゃありませんよ」
と先生。え? なんだって??
「水彩は何度も重ね塗りして、雰囲気を出していくんです。ちょっと貸してください」
そう言って、筆をとってすごく薄い色で
すごく適当に塗り始めた。せっかくデッサンした樹の輪郭は全然気にしていない。ばーっと。ホントにばーっと塗りなさった。まるで筆を初めて持った幼児なみに。
「こうやって気楽に。水彩の良いところは何度も重ねて塗れるところです。緑があるな〜と思ったら、ばーっと。ちょっと茶色っぽいな〜と思ったらばーっと。あまり濃いと直せなくなるので薄めに。最初からちゃんとした色を出すのではありません」
――目から鱗。今日の鱗の量は半端ではない。トラック三台分くらいは落ちてきたかも……。そうか水彩ってこう描くのか! 今までやってきたことはなんだったんだろう? 小学校の先生や中学校の先生は何を教えてくれたんだろう?? こういう気楽な楽しい描き方だったら、もっと色を塗ることが好きになったに違いないのに! このやり方は本当にすごい! 感じた色を塗っていけばいいのだ。それで少しずつ目の前にある樹に近づけていけばよい。そして大事なのは、先生も言っていたけど雰囲気を出すこと。細かいところに目を向けないで大きく塗る。コレが水彩だった!
先生の言うように色をつけて重ねていくと……!
ああ! 「絵」っぽい! すごい! 水彩画はすごいぞ!!!!!
これは感動もの!!!!!!!
絵を描くってこんなに楽しかったのか!!!!!!
というわけで、先日のスケッチ会は人生でそう何度もないであろう感動を味わったのでした。水彩ほんとオススメ。
5年目の大学祭
11/04/2006 (Sat)
今日はいろんな気持ちになった。
年に一度の大学祭。
メインストリートから離れ、人気のない工学部棟に入るとそこは全く違う世界だった。節電のため昼間でも薄暗くなっていて、油の匂いが立ち込める。外の露店のお好み焼きの匂いとはまるで対照的。1年前までは自分もメインストリート側に居たのに、なんということだろうか。外の彼らは楽しそうだったなあ。
友人が一人、研究室に帰ってきた。そいつもどうやら後輩の輪の中に入れなかったようだ。パワーポイントとMATLABを起動させて「俺はこんなことやるために生まれてきたんじゃない……」と半笑いで作業。彼の場合、まだ作業をやれるだけ強い。自分は完全に打ちのめされてしまった。お互い自虐的に笑いあったけど、ちょっぴり泣きたい気分にもなった。
でも酒飲みながら、音楽かけて歌ったら少し気分が良くなってきて。。。
意外と簡単なことなのかも、なんて思ったりした。
明日からまたがんばろう!
年に一度の大学祭。
メインストリートから離れ、人気のない工学部棟に入るとそこは全く違う世界だった。節電のため昼間でも薄暗くなっていて、油の匂いが立ち込める。外の露店のお好み焼きの匂いとはまるで対照的。1年前までは自分もメインストリート側に居たのに、なんということだろうか。外の彼らは楽しそうだったなあ。
友人が一人、研究室に帰ってきた。そいつもどうやら後輩の輪の中に入れなかったようだ。パワーポイントとMATLABを起動させて「俺はこんなことやるために生まれてきたんじゃない……」と半笑いで作業。彼の場合、まだ作業をやれるだけ強い。自分は完全に打ちのめされてしまった。お互い自虐的に笑いあったけど、ちょっぴり泣きたい気分にもなった。
でも酒飲みながら、音楽かけて歌ったら少し気分が良くなってきて。。。
意外と簡単なことなのかも、なんて思ったりした。
明日からまたがんばろう!
大学祭と僕
11/03/2006 (Fri)
今日、大学祭がありメインストリートは人でいっぱい。
天気もからっと晴れて祭にはもってこいの天候。
ハヤシライスを売る女子学生や、合気道を披露する留学生、
ぜひきて下さい、と誘ってくれるサークルの後輩……
みんな本当に生き生きしている。楽しそうだ。
それらを通り過ぎ、研究室で、windowsを起動させるむなしさよ……
天気もからっと晴れて祭にはもってこいの天候。
ハヤシライスを売る女子学生や、合気道を披露する留学生、
ぜひきて下さい、と誘ってくれるサークルの後輩……
みんな本当に生き生きしている。楽しそうだ。
それらを通り過ぎ、研究室で、windowsを起動させるむなしさよ……
| ホーム |

