柳沢大臣「機械発言」擁護してみる
01/31/2007 (Wed)
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柳沢伯夫厚生労働相は29日朝、議員宿舎前で記者団に対し、女性を「産む機械、装置」と表現した発言を撤回するとともに、「国会審議を通じて真意を説明したい」と述べた。発言に対しては野党が批判を強めていた。
柳沢厚労相によると、この発言は27日に松江市内で開かれた島根県議の会合で講演した際、人口推計について説明する際に口にした。「皆に分かりやすく説明しようと思って考えたのだが、すぐ適切でないと感じ、『ごめんなさい』とお話しした」という。
さらに同相は、「経済問題に携わってきたので、産業や経済(の例)で説明したほうが分かりやすいのではないかと一瞬頭によぎった」とし、「機械」「装置」という言葉は、講演の際に思いついて使用したと説明した。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2007012900243
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最近ニュースを見ないので、これを知ったのは昨日か。いろんなところで叩かれている。こういうふうに世間が、ある一方向に意見をシフトさせると天邪鬼的な意見を書きたくなる。引用部を見ると
「経済問題に携わってきたので、産業や経済(の例)で説明したほうが分かりやすいのではないかと一瞬頭によぎった」
とある。
これを素直に解釈しようではないか。女性の身体は子供を生む「仕組み」を持っていて、その仕組みを持つ女性の数には限りがあります。そう言っているだけだ。だから少子化問題を経済の問題と似たようなテーブルに載せて、そういうルールを念頭に戦略的に議論しようではないか、とこういうことではないだろうか? 非常にシンプル。政治家としてあるべき思考方法だ。
ただ言葉が悪く、そのイメージを不用意に増幅した連中がいる。それに乗っかった暇人がいる。それだけだ。そのイメージとは「古典的」「女性差別」「女性蔑視」etc……。まあ、それ系の人にとって充実した燃料となるイメージだ。火をつけたやつは、高みの見物で爽快な気分なのではないだろうか? 私はここに何の正義感もジャーナリズムも感じない。
探せば、彼の発言を擁護するエントリもある。
http://shubniggurath.at.webry.info/200701/article_5.html
自分もだいたい同じ考えである。初めてトラックバックしてみます。ご迷惑かけたら本当にすみません。
柳沢伯夫厚生労働相は29日朝、議員宿舎前で記者団に対し、女性を「産む機械、装置」と表現した発言を撤回するとともに、「国会審議を通じて真意を説明したい」と述べた。発言に対しては野党が批判を強めていた。
柳沢厚労相によると、この発言は27日に松江市内で開かれた島根県議の会合で講演した際、人口推計について説明する際に口にした。「皆に分かりやすく説明しようと思って考えたのだが、すぐ適切でないと感じ、『ごめんなさい』とお話しした」という。
さらに同相は、「経済問題に携わってきたので、産業や経済(の例)で説明したほうが分かりやすいのではないかと一瞬頭によぎった」とし、「機械」「装置」という言葉は、講演の際に思いついて使用したと説明した。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2007012900243
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最近ニュースを見ないので、これを知ったのは昨日か。いろんなところで叩かれている。こういうふうに世間が、ある一方向に意見をシフトさせると天邪鬼的な意見を書きたくなる。引用部を見ると
「経済問題に携わってきたので、産業や経済(の例)で説明したほうが分かりやすいのではないかと一瞬頭によぎった」
とある。
これを素直に解釈しようではないか。女性の身体は子供を生む「仕組み」を持っていて、その仕組みを持つ女性の数には限りがあります。そう言っているだけだ。だから少子化問題を経済の問題と似たようなテーブルに載せて、そういうルールを念頭に戦略的に議論しようではないか、とこういうことではないだろうか? 非常にシンプル。政治家としてあるべき思考方法だ。
ただ言葉が悪く、そのイメージを不用意に増幅した連中がいる。それに乗っかった暇人がいる。それだけだ。そのイメージとは「古典的」「女性差別」「女性蔑視」etc……。まあ、それ系の人にとって充実した燃料となるイメージだ。火をつけたやつは、高みの見物で爽快な気分なのではないだろうか? 私はここに何の正義感もジャーナリズムも感じない。
探せば、彼の発言を擁護するエントリもある。
http://shubniggurath.at.webry.info/200701/article_5.html
自分もだいたい同じ考えである。初めてトラックバックしてみます。ご迷惑かけたら本当にすみません。
大学サークルの友人たちと飲み
01/28/2007 (Sun)
ブログを書けるって素晴らしい。好きなことが書けるって素晴らしい。やっぱ仕事で書くのと、個人で書くのでは全く違うなあ。気持ちよさは断然個人で書くほうだ。
とくると下の句に就職活動が来るのが最近のパターンだが。今日は先日飲みに行ったことについて。先日近場で大学のサークルの人々と飲み会があった。結構たくさんの人が来てて、自分は院生だから卒業した連中もいるわけで、でも仕事している人もたくさん集まっててとても嬉しかった。仕事をしている人は、それぞれ職場でこことは違った顔を持っているに違いないが、それでもこの場所に帰ってくると、昔見た顔になるんだろうな〜なんて飲みながら考えたとか考えないとか。
自分はまだ就職していないからわからないが、シャカイジンてのは厳しいらしい。彼らはこの場所に帰ってくるとしきりに懐かしいという。自分も懐かしいが、大きく環境が変わった彼らにとっては、また別の深刻な(?)懐かしいなのだろうなあ。
とくると下の句に就職活動が来るのが最近のパターンだが。今日は先日飲みに行ったことについて。先日近場で大学のサークルの人々と飲み会があった。結構たくさんの人が来てて、自分は院生だから卒業した連中もいるわけで、でも仕事している人もたくさん集まっててとても嬉しかった。仕事をしている人は、それぞれ職場でこことは違った顔を持っているに違いないが、それでもこの場所に帰ってくると、昔見た顔になるんだろうな〜なんて飲みながら考えたとか考えないとか。
自分はまだ就職していないからわからないが、シャカイジンてのは厳しいらしい。彼らはこの場所に帰ってくるとしきりに懐かしいという。自分も懐かしいが、大きく環境が変わった彼らにとっては、また別の深刻な(?)懐かしいなのだろうなあ。
原稿かけない
01/26/2007 (Fri)
とある理由で「何でもいい」内容の原稿を書かなくてはならない。何でもいいはずなんだが、制限がかなりある。
まずその会社に迷惑をかける内容であったはならない。
自分が学生であること示唆する内容であってはならない。
社会の出来事に対して、きわどい意見を投げかけるような内容であってはならない。
特定の商品名を出してはならない。
おいおい。この条件難しすぎるってば。自分の生活の90%は研究と就職活動なのに、それをネタにしてはならないのです。いやあ、つらい。週末どっか出かけたっけな? 今週はバイトと英語訳か。うん、かけない。
こういうときは「キーワード発想法」でいく。とにかく当たり障りのなさそうなキーワードを選出する。で、それについて思いをめぐらし一気に書く。これだ。
まずその会社に迷惑をかける内容であったはならない。
自分が学生であること示唆する内容であってはならない。
社会の出来事に対して、きわどい意見を投げかけるような内容であってはならない。
特定の商品名を出してはならない。
おいおい。この条件難しすぎるってば。自分の生活の90%は研究と就職活動なのに、それをネタにしてはならないのです。いやあ、つらい。週末どっか出かけたっけな? 今週はバイトと英語訳か。うん、かけない。
こういうときは「キーワード発想法」でいく。とにかく当たり障りのなさそうなキーワードを選出する。で、それについて思いをめぐらし一気に書く。これだ。
SE検討中
01/25/2007 (Thu)
午前零時あたりはブログが重くなる。多分、仕事帰りの人やなんやかんやで帰宅した人が、風呂上りのついで、寝る前にブログを書くのだろう。みんなどんなことを書くんだろうか? その日の愚痴とか? あまり具体的に書きすぎるとばれる場合ありけりだから、そんな強くもかけないかもね。自分の場合も特定されるのが怖いので、具体的にアレコレかけない。書きたいかって言うとそれも微妙な問題であるが。だから、このブログは日記化はあまりしてないと思う。普段考えていても口に出せない・出さないこととか、そんなことを書いているつもりだ。
就職活動について、エントリーしまくっているうちに少しずつ「しっくり」きそうなものが見えてきた。あれだけ嫌がっていたSEになりたくなってきた。プログラムで世界が構築できる。これってすごいし、アイディアが現実になるし、べりべりエキサイティングじゃないか!?
というのも、最近Fortrranを触りだして、前任者が作った膨大な数値計算プログラムを見ているうちにそう思い始めた。自分で書いたプログラムで、ワークステーションがCPU100%で働きまくっている様子を見ると、ちょっとした神様気分を味わうのだ。
けれど前任者が書いたプログラムは、なかなかどうなっているのかわからないものも多い。あとから読んだり、バグを取ったり、世界を構築するためにはやらなければいけない手作業も多い。
というわけで、SE検討中。
就職活動について、エントリーしまくっているうちに少しずつ「しっくり」きそうなものが見えてきた。あれだけ嫌がっていたSEになりたくなってきた。プログラムで世界が構築できる。これってすごいし、アイディアが現実になるし、べりべりエキサイティングじゃないか!?
というのも、最近Fortrranを触りだして、前任者が作った膨大な数値計算プログラムを見ているうちにそう思い始めた。自分で書いたプログラムで、ワークステーションがCPU100%で働きまくっている様子を見ると、ちょっとした神様気分を味わうのだ。
けれど前任者が書いたプログラムは、なかなかどうなっているのかわからないものも多い。あとから読んだり、バグを取ったり、世界を構築するためにはやらなければいけない手作業も多い。
というわけで、SE検討中。
目が痛い……
01/20/2007 (Sat)
最近PCばかり見ているせいか、目が痛い。痛いというか、ずーって感じ。眼圧が高いってこのことを言うのだろうか? 目の病気じゃなければいいけれど。
友人で自分と同じひぶんしょうの人がいる。その人はこうししょうという症状も出てきたそうだ。目は大切にしたい(変換で出ませんねっと)。ちなみに目の病気には遺伝性のものがある。うちの母方の遺伝で網膜はく離だか、そういうのが遺伝するらしい。妹がそれで精密検査を受けていた。
これから人間はどんどん目を使わないといけない時代になるのに、PCごときで目が痛いなんていっていたら淘汰されるんではないだろうか。もちろん半分冗談だが。
友人で自分と同じひぶんしょうの人がいる。その人はこうししょうという症状も出てきたそうだ。目は大切にしたい(変換で出ませんねっと)。ちなみに目の病気には遺伝性のものがある。うちの母方の遺伝で網膜はく離だか、そういうのが遺伝するらしい。妹がそれで精密検査を受けていた。
これから人間はどんどん目を使わないといけない時代になるのに、PCごときで目が痛いなんていっていたら淘汰されるんではないだろうか。もちろん半分冗談だが。
はてなに引越し
01/07/2007 (Sun)
技術者倫理うんぬん
01/07/2007 (Sun)
いろいろやることはあるが、とりあえずブログを書くことにする。今日は昼に起きてパスタ作って、あと何してたんだろう? 自分の行動が効率悪すぎて嫌になる。ネット見てもたいした情報載ってねーての。
ああ、そうそう先日ちょっと話に出した「Web人間論」てのを今読み中です。作者の梅田さんて、日に300個くらいブログを巡回してるんだね…… 情報集めるってのも大変そう。梅田さんは、Webにおける自分のブログを分身と感じているそうな。それだけリアルと密接に繋がっていることなのでしょう。全く切り離されたら分身て言わないしね。彼は一応経営コンサルタントだからそういうのも仕事のうちかなと思うんだが、例えば自分のような理系学生――これからメーカーに就職して物を作る人にとって、世の中の動きを知る手段としてブログを参考にするようなことは、あまり必要ないかもしれないと思ってしまった。
ん? 技術者って世の中のことを知らないで物を作ってもいいの?
これってかなり重要な問題かも。
さて、ここで疑問。
技術者の仕事の範疇ってどこまでなのでしょうか?
技術者の倫理の必要性が叫ばれている世の中ですが、
じゃあ実際に技術者の倫理が発揮される状況にあるのでしょうか?
就職活動をする上で、物作りにおける「コンセプト作り」は実は「文系」の皆様のお仕事だと感じてしまった。実名出すが、例えば文具メーカーのUNI(三菱鉛筆)。会社説明会で、「商品企画」や「マーケティング」は文系のお仕事だと言及していた。会社のアイデンティティに関わる「商品企画」は文系のやることなんだとか。ああ、ちょっと、待った。文系だから、とか、そこが問題ではない。誤解されてしまう。何が言いたいかというと、「商品企画」と「商品生産」の部分が完全に分業されてしまっているといいたいのです。商品の設計、試作、量産にいたる「技術者」のお仕事は、商品の魂たる「商品企画」とは全く別の脳で行われている作業だといいたいのです。
つまり「技術者」が頭を使うことはあくまで製品がどうやったら作れるか、とかコストが下がるのか、といった現場における実務の問題であって、その製品がどのように使われるのか、とか安全かということを考えることではない(製品が尖っていて危ない、などというシンプルな問題には対処するだろうが……)。では、その現場にいる技術者って、例え倫理観が十分だったとしても、それが発揮される場というのは存在しないかもしれない。なぜなら、それは製品が発案される時点で、別の人間によって考慮されるもので、製品ができてからも、その人間の責任と仕事であり続けるからです。むしろ商品企画をやる人間からすれば、現場の技術者に、その製品についてあーだこーだ言われることは仕事がやりづらくなる以外の何ものでもないだろうと思う。もし自分が商品企画者だったとしたら、「そんなこと分かってるし、俺が考えることだからイチイチ言ってくるな!」と思うでしょうね。
ただ世間には物を作るのは「技術者」の仕事だという常識があるように見受ける。そうすると安全でないものを作ったり、違法行為を助長する製品に仕上がったりすると、「先端技術が、そんな使われ方をするなんて」「何ができるか、ではなく何をしてはいけないかを技術者は考えるべきですね」といった、TVのコメンテーターの発言を誘起することになりかねない。ここで、批判の対象は「技術」を持つものの象徴である「技術者」に向けられている。邪推すると「これだから理系は…… 人の世というものを分かっていないというか、気持ちの悪いオタクどもめが」という感情が見え隠れしなくもない。理系は高校の授業における国語や倫理、現代社会などに興味がない、分からない、人間味のない連中だと思われているところがある。邪推しすぎたかな?
※参考文献(笑)
http://blogs.yahoo.co.jp/engineer_ryuseigun/18179759.html
推測にすぎないが、製品に倫理的・安全的な問題があった場合、多くの技術者は「だって上の人が作れっていったんだもん」と愚痴をこぼすことになると思う。これは戦争における兵隊と司令部の関係に似ているかもしれない。戦争のコンセプトや戦略を考える司令部と、実際に行動する歩兵は、それぞれ別の人間がやっている。悲劇的な戦果に終わると歩兵は「だって司令部が命令したもん。やらないと自分が軍法会議にかけられる」と言うだろうし、下で働いている技術者が上の命令に従わなかったら食いっぱぐれるでしょうね。
ここまでの話の根拠として出した例は文具メーカーの話だったので、全ての産業に言えるわけではなさそうだ。しかしこれでも「技術者は倫理を持つべき」と単純にいえるだろうか? 彼らは倫理感を発揮するような権限や場を与えれているのだろうか? 発揮したらしたで、立場が危うくなるのではないか? 私は大いに疑問だ。
ああ、そうそう先日ちょっと話に出した「Web人間論」てのを今読み中です。作者の梅田さんて、日に300個くらいブログを巡回してるんだね…… 情報集めるってのも大変そう。梅田さんは、Webにおける自分のブログを分身と感じているそうな。それだけリアルと密接に繋がっていることなのでしょう。全く切り離されたら分身て言わないしね。彼は一応経営コンサルタントだからそういうのも仕事のうちかなと思うんだが、例えば自分のような理系学生――これからメーカーに就職して物を作る人にとって、世の中の動きを知る手段としてブログを参考にするようなことは、あまり必要ないかもしれないと思ってしまった。
ん? 技術者って世の中のことを知らないで物を作ってもいいの?
これってかなり重要な問題かも。
さて、ここで疑問。
技術者の仕事の範疇ってどこまでなのでしょうか?
技術者の倫理の必要性が叫ばれている世の中ですが、
じゃあ実際に技術者の倫理が発揮される状況にあるのでしょうか?
就職活動をする上で、物作りにおける「コンセプト作り」は実は「文系」の皆様のお仕事だと感じてしまった。実名出すが、例えば文具メーカーのUNI(三菱鉛筆)。会社説明会で、「商品企画」や「マーケティング」は文系のお仕事だと言及していた。会社のアイデンティティに関わる「商品企画」は文系のやることなんだとか。ああ、ちょっと、待った。文系だから、とか、そこが問題ではない。誤解されてしまう。何が言いたいかというと、「商品企画」と「商品生産」の部分が完全に分業されてしまっているといいたいのです。商品の設計、試作、量産にいたる「技術者」のお仕事は、商品の魂たる「商品企画」とは全く別の脳で行われている作業だといいたいのです。
つまり「技術者」が頭を使うことはあくまで製品がどうやったら作れるか、とかコストが下がるのか、といった現場における実務の問題であって、その製品がどのように使われるのか、とか安全かということを考えることではない(製品が尖っていて危ない、などというシンプルな問題には対処するだろうが……)。では、その現場にいる技術者って、例え倫理観が十分だったとしても、それが発揮される場というのは存在しないかもしれない。なぜなら、それは製品が発案される時点で、別の人間によって考慮されるもので、製品ができてからも、その人間の責任と仕事であり続けるからです。むしろ商品企画をやる人間からすれば、現場の技術者に、その製品についてあーだこーだ言われることは仕事がやりづらくなる以外の何ものでもないだろうと思う。もし自分が商品企画者だったとしたら、「そんなこと分かってるし、俺が考えることだからイチイチ言ってくるな!」と思うでしょうね。
ただ世間には物を作るのは「技術者」の仕事だという常識があるように見受ける。そうすると安全でないものを作ったり、違法行為を助長する製品に仕上がったりすると、「先端技術が、そんな使われ方をするなんて」「何ができるか、ではなく何をしてはいけないかを技術者は考えるべきですね」といった、TVのコメンテーターの発言を誘起することになりかねない。ここで、批判の対象は「技術」を持つものの象徴である「技術者」に向けられている。邪推すると「これだから理系は…… 人の世というものを分かっていないというか、気持ちの悪いオタクどもめが」という感情が見え隠れしなくもない。理系は高校の授業における国語や倫理、現代社会などに興味がない、分からない、人間味のない連中だと思われているところがある。邪推しすぎたかな?
※参考文献(笑)
http://blogs.yahoo.co.jp/engineer_ryuseigun/18179759.html
推測にすぎないが、製品に倫理的・安全的な問題があった場合、多くの技術者は「だって上の人が作れっていったんだもん」と愚痴をこぼすことになると思う。これは戦争における兵隊と司令部の関係に似ているかもしれない。戦争のコンセプトや戦略を考える司令部と、実際に行動する歩兵は、それぞれ別の人間がやっている。悲劇的な戦果に終わると歩兵は「だって司令部が命令したもん。やらないと自分が軍法会議にかけられる」と言うだろうし、下で働いている技術者が上の命令に従わなかったら食いっぱぐれるでしょうね。
ここまでの話の根拠として出した例は文具メーカーの話だったので、全ての産業に言えるわけではなさそうだ。しかしこれでも「技術者は倫理を持つべき」と単純にいえるだろうか? 彼らは倫理感を発揮するような権限や場を与えれているのだろうか? 発揮したらしたで、立場が危うくなるのではないか? 私は大いに疑問だ。
コミニティの島宇宙化
01/01/2007 (Mon)
注意!
以下に表記することは仮定の話。どの話にも確実な根拠があるわけではなく、つまり世迷言です。気楽に見てやってください。あとテーマが広がりすぎて未完成なので後に修正する場合があります。
後でも注意書きするが、人間の精神の状態や趣味趣向の状態のことを「カラー」と呼ぶことにする。これは、人間の精神状態は、周囲の人間の精神状態によって左右され、価値が増減したり、まったく変わったりするからだ。色も同じで、周囲の色によって引き立つこともあれば、逆に殺される場合だってある。響きあう現象があること。それ故カラーと呼ぶ。
世界や世間は多様化している。多様化という言葉は非常に曖昧なので、何が、どう多様化しているのかきっかり定義しなければ議論にならないが、まあ、曖昧なままかたらせて欲しい。私のイメージしている「多様化」とは、個人の趣味・趣向の種類がたくさんありすぎて、共同体の密度が小さくなってしまっていることだ。故に寂しい。ここまでのニュアンスを含む。
あるネットラジオの配信者とメールしたことがあるが、昔は皆同じような番組や音楽を聴いて育ってきたが、最近の人はそうではないらしいと述べていた。私は確かにそう思う。友人たちと盛り上がる話題は、昔聴いた音楽やテレビである場合が多くないだろうか。最近の音楽やテレビが話題になることは私の場合少ない。
情報の受け手側だけではなく、情報の発信側も非常に多様化していることも断言しても良いだろう。ネットワークの世界には、個人やグループが作成した文字情報や絵、音楽、動画が山ほどある。制作、発表するためのツールが非常に安価になったせいだ。これを豊かになったと表現する人もいるが、私は必ずしもそうではないと思う。まあこれは別の話。
たくさんある情報から良いもの、価値のあるものを検索することに価値が置かれつつあるが(Googleや有料検索ツールの存在)、にしても数が多すぎるようになってしまったのではないか。良い情報を探すことに疲れてしまう(コストが増大)といった現象が生じ始めてきたのではないか? たしかに情報の海の中には、真珠のように光る価値あるものが存在するのは間違いない。けれどそんなに良いものでなくともいい、そう考える人たちが出てきてもおかしくない。
コミニティの島宇宙化を促進するツールが現れ始めた。それはSNSと呼ばれ、mixiに代表されるいわゆる軽い出会い系サイトである。一気に飛躍したな、と思われたかもしれないが、mixiの存在が出力する結果を参照してみたい。mixiは自分の基本的なポジション(職場、学校)をもとに、自分の趣味・趣向に近い人間を再編している。私はSNSの役割はまだ途上であると思う。これからどんどんこの再編に積極的になる人間や積極的にさせるツールが生まれてくるのだと思う。なぜなら人は寂しがる生き物だからだ。
次世代SNSは、個人の趣味趣向と、実際の住まいや境遇とバランスを取ったコミニティの島宇宙を生産しだすだろう。しかし、同じような考えを持つ人間がたくさん集まって面白いのか、といったらまた話は別だろう。それもバランスの問題。もう少し先のSNS(それ自体は今現在から想像できるSNSの形はしていないかもしれないが)はそのバランス加減が調整されたものが登場するかもしれない。そのバランス加減とは、学校のようなサークルのような状態のことだ。できる人間もいれば、そうでない人間もいる。意外なことに才能があるやつもいれば、まったくだめなのもいる。けれどだめなのはだめなりに、彼らを尊敬する。それが役割になっている場合がある。そんな温度加減。競争社会になり、周期に似たような奴ばかりそろって、それでいて趣味趣向が合わないのばかりいる状態より、ずいぶん魅力的だと思わないだろうか? 島宇宙化とは、密度が低くなった人間の状態(もっと別の表現ができればなあ ※1)を再編する現象のこと。このとき、島宇宙は、それぞれ独自の環境に成長していくだろう。島宇宙同士を比べる価値は、一部の人間を除いて低くなるだろう。なぜなら、その島宇宙にいる人間たちは島宇宙の中で十分に評価され、役割が与えられているからだ。
島宇宙化は、内向きの現象でもある。果てしなく飛び出して、人間の持っている技の優劣を果てしなく競う宇宙からの脱却でもある。技や役割が成長する過程や、行為そのものをゆったりと楽しむ、そんな内向きと見える行為。島宇宙化とは、情報発信者と受信者のあらゆる意味での距離を縮める行為のこと。発信者と受信者の確かな交流と交流の過程が存在すること。発信者は万人に認められなくとも良いと思う。認められる者同士の共生を許す空間でもある。
あらゆる価値が相対的な尺度で計られる一方、絶対的な人間の感情によって私たちは評価される。すなわち、喜ばれる、悲しまれる、怒られる、などだ。この人間の感情の尺度は絶対的だ。喜ばれたら嬉しい。悲しまれたら悲しい。怒られたら不快になる。ある意味、こんなひどい話はない。情報発信者は、じゃあどうすればいいんだ? と問いたくなる。だから島宇宙にこもる。よく理解できない人たちに向かって情報を発信しなくてよくなる。
では島宇宙化すると、人間は技の成長を忘れるのか? というと半分くらいイエスだ。ある程度までは成長するが、その島宇宙内で非常に尊敬される存在になったとたんに、ストイックな精神は薄れると思われる。島宇宙内では、ライバルの数は全宇宙に比べて少ない。技の成長を最大の価値をする人間は、その島宇宙を飛び出し、自分と同じ考えを持って技を磨いている人間と会わずにはいられないだろう。しかし、それすら別の島宇宙にい移動するということだ。島宇宙化とは、総員アマチュア化である。けれど誰でもがアマチュアになれるということでもある。
近い未来の話、人間の幸せとは、ここまで述べたような島宇宙が最適な密度で全宇宙の中に存在することだと思う。遠い将来のことはわからない。人間のカラー(※1参照 精神の状態)は、物質的な価値の最適化作業に引っ張られすぎている。ネットワークの充実は、人間を距離と環境の状態に依らず、情報伝達、交換できる高い自由を与えてくれた。今まで、この恩恵は先の物質的価値の最適化作業に与えられたが、もうすぐネットワークの充実が人間のカラーを再編成する時代がくる。それにコストを払う時代が来る。それは経済的にも重要性を増し、物質的価値の最適化に影響を及ぼすまで比重が高まるだろう。ずっとこのシーソーがぐらぐらする状態が続くと思う。シーソーが傾くたびに、物質的価値とカラーの価値は再定義され、更新され続けるだろう。これら二つはまったく関係ないもの同士ではないからだ(物質的価値を増大するためにもたらされたネットワークの充実が、人間のカラーの再編という新しい現象を生み出し、それが新しい人間の環境における、新しい価値となっている)。
だから、たぶんもうすぐ、もうちょっと幸せになると思う。
「島宇宙、最適化」で検索化したら同じようなこと考える人いたよ……
web人間論。という書籍について語っているのが↓のブログなんだが。
http://c-kom.homeip.net/review/blog/archives/2006/12/post_311.html
まあ、生じる結果についてどう考えるか、それについては違うみたい。
しかしネットはすごいな…
※1
同じ趣味趣向を持った人間の状態、単位を何か別の言葉に置きかえれないだろうか?
人間と呼ぶには付随する意味がありすぎだし、魂と呼ぶほどオカルチックではない。でもってミームと呼ぶほど、身体がないわけではないしなあ。
カラー
これが一番近い?
以下に表記することは仮定の話。どの話にも確実な根拠があるわけではなく、つまり世迷言です。気楽に見てやってください。あとテーマが広がりすぎて未完成なので後に修正する場合があります。
後でも注意書きするが、人間の精神の状態や趣味趣向の状態のことを「カラー」と呼ぶことにする。これは、人間の精神状態は、周囲の人間の精神状態によって左右され、価値が増減したり、まったく変わったりするからだ。色も同じで、周囲の色によって引き立つこともあれば、逆に殺される場合だってある。響きあう現象があること。それ故カラーと呼ぶ。
世界や世間は多様化している。多様化という言葉は非常に曖昧なので、何が、どう多様化しているのかきっかり定義しなければ議論にならないが、まあ、曖昧なままかたらせて欲しい。私のイメージしている「多様化」とは、個人の趣味・趣向の種類がたくさんありすぎて、共同体の密度が小さくなってしまっていることだ。故に寂しい。ここまでのニュアンスを含む。
あるネットラジオの配信者とメールしたことがあるが、昔は皆同じような番組や音楽を聴いて育ってきたが、最近の人はそうではないらしいと述べていた。私は確かにそう思う。友人たちと盛り上がる話題は、昔聴いた音楽やテレビである場合が多くないだろうか。最近の音楽やテレビが話題になることは私の場合少ない。
情報の受け手側だけではなく、情報の発信側も非常に多様化していることも断言しても良いだろう。ネットワークの世界には、個人やグループが作成した文字情報や絵、音楽、動画が山ほどある。制作、発表するためのツールが非常に安価になったせいだ。これを豊かになったと表現する人もいるが、私は必ずしもそうではないと思う。まあこれは別の話。
たくさんある情報から良いもの、価値のあるものを検索することに価値が置かれつつあるが(Googleや有料検索ツールの存在)、にしても数が多すぎるようになってしまったのではないか。良い情報を探すことに疲れてしまう(コストが増大)といった現象が生じ始めてきたのではないか? たしかに情報の海の中には、真珠のように光る価値あるものが存在するのは間違いない。けれどそんなに良いものでなくともいい、そう考える人たちが出てきてもおかしくない。
コミニティの島宇宙化を促進するツールが現れ始めた。それはSNSと呼ばれ、mixiに代表されるいわゆる軽い出会い系サイトである。一気に飛躍したな、と思われたかもしれないが、mixiの存在が出力する結果を参照してみたい。mixiは自分の基本的なポジション(職場、学校)をもとに、自分の趣味・趣向に近い人間を再編している。私はSNSの役割はまだ途上であると思う。これからどんどんこの再編に積極的になる人間や積極的にさせるツールが生まれてくるのだと思う。なぜなら人は寂しがる生き物だからだ。
次世代SNSは、個人の趣味趣向と、実際の住まいや境遇とバランスを取ったコミニティの島宇宙を生産しだすだろう。しかし、同じような考えを持つ人間がたくさん集まって面白いのか、といったらまた話は別だろう。それもバランスの問題。もう少し先のSNS(それ自体は今現在から想像できるSNSの形はしていないかもしれないが)はそのバランス加減が調整されたものが登場するかもしれない。そのバランス加減とは、学校のようなサークルのような状態のことだ。できる人間もいれば、そうでない人間もいる。意外なことに才能があるやつもいれば、まったくだめなのもいる。けれどだめなのはだめなりに、彼らを尊敬する。それが役割になっている場合がある。そんな温度加減。競争社会になり、周期に似たような奴ばかりそろって、それでいて趣味趣向が合わないのばかりいる状態より、ずいぶん魅力的だと思わないだろうか? 島宇宙化とは、密度が低くなった人間の状態(もっと別の表現ができればなあ ※1)を再編する現象のこと。このとき、島宇宙は、それぞれ独自の環境に成長していくだろう。島宇宙同士を比べる価値は、一部の人間を除いて低くなるだろう。なぜなら、その島宇宙にいる人間たちは島宇宙の中で十分に評価され、役割が与えられているからだ。
島宇宙化は、内向きの現象でもある。果てしなく飛び出して、人間の持っている技の優劣を果てしなく競う宇宙からの脱却でもある。技や役割が成長する過程や、行為そのものをゆったりと楽しむ、そんな内向きと見える行為。島宇宙化とは、情報発信者と受信者のあらゆる意味での距離を縮める行為のこと。発信者と受信者の確かな交流と交流の過程が存在すること。発信者は万人に認められなくとも良いと思う。認められる者同士の共生を許す空間でもある。
あらゆる価値が相対的な尺度で計られる一方、絶対的な人間の感情によって私たちは評価される。すなわち、喜ばれる、悲しまれる、怒られる、などだ。この人間の感情の尺度は絶対的だ。喜ばれたら嬉しい。悲しまれたら悲しい。怒られたら不快になる。ある意味、こんなひどい話はない。情報発信者は、じゃあどうすればいいんだ? と問いたくなる。だから島宇宙にこもる。よく理解できない人たちに向かって情報を発信しなくてよくなる。
では島宇宙化すると、人間は技の成長を忘れるのか? というと半分くらいイエスだ。ある程度までは成長するが、その島宇宙内で非常に尊敬される存在になったとたんに、ストイックな精神は薄れると思われる。島宇宙内では、ライバルの数は全宇宙に比べて少ない。技の成長を最大の価値をする人間は、その島宇宙を飛び出し、自分と同じ考えを持って技を磨いている人間と会わずにはいられないだろう。しかし、それすら別の島宇宙にい移動するということだ。島宇宙化とは、総員アマチュア化である。けれど誰でもがアマチュアになれるということでもある。
近い未来の話、人間の幸せとは、ここまで述べたような島宇宙が最適な密度で全宇宙の中に存在することだと思う。遠い将来のことはわからない。人間のカラー(※1参照 精神の状態)は、物質的な価値の最適化作業に引っ張られすぎている。ネットワークの充実は、人間を距離と環境の状態に依らず、情報伝達、交換できる高い自由を与えてくれた。今まで、この恩恵は先の物質的価値の最適化作業に与えられたが、もうすぐネットワークの充実が人間のカラーを再編成する時代がくる。それにコストを払う時代が来る。それは経済的にも重要性を増し、物質的価値の最適化に影響を及ぼすまで比重が高まるだろう。ずっとこのシーソーがぐらぐらする状態が続くと思う。シーソーが傾くたびに、物質的価値とカラーの価値は再定義され、更新され続けるだろう。これら二つはまったく関係ないもの同士ではないからだ(物質的価値を増大するためにもたらされたネットワークの充実が、人間のカラーの再編という新しい現象を生み出し、それが新しい人間の環境における、新しい価値となっている)。
だから、たぶんもうすぐ、もうちょっと幸せになると思う。
「島宇宙、最適化」で検索化したら同じようなこと考える人いたよ……
web人間論。という書籍について語っているのが↓のブログなんだが。
http://c-kom.homeip.net/review/blog/archives/2006/12/post_311.html
まあ、生じる結果についてどう考えるか、それについては違うみたい。
しかしネットはすごいな…
※1
同じ趣味趣向を持った人間の状態、単位を何か別の言葉に置きかえれないだろうか?
人間と呼ぶには付随する意味がありすぎだし、魂と呼ぶほどオカルチックではない。でもってミームと呼ぶほど、身体がないわけではないしなあ。
カラー
これが一番近い?
困った中
01/01/2007 (Mon)
今年最後のブログ。
就職のことについて、自分の中で考えがコロコロ変わるからなかなか決まらない。困ったことだ。優先順位を考えたけど、やはり軸がないとそれらが有効に機能していかない。軸がふにゃふにゃだ。
今のところ考えているのは、金融系。それとメーカー。すむところは関東が良いけれど、関東でなければ絶対嫌だ、というわけではない。給料はどうでもいい。さっさと奨学金を返したいので、就職後数年は独身寮に入れるところが良い。
なんか全身に力が入ったまま就職活動しているかも。もっと力を抜いてやろうかな。なんだかわからなくなったままだ。困った困った。
就職のことについて、自分の中で考えがコロコロ変わるからなかなか決まらない。困ったことだ。優先順位を考えたけど、やはり軸がないとそれらが有効に機能していかない。軸がふにゃふにゃだ。
今のところ考えているのは、金融系。それとメーカー。すむところは関東が良いけれど、関東でなければ絶対嫌だ、というわけではない。給料はどうでもいい。さっさと奨学金を返したいので、就職後数年は独身寮に入れるところが良い。
なんか全身に力が入ったまま就職活動しているかも。もっと力を抜いてやろうかな。なんだかわからなくなったままだ。困った困った。
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