映画 ベクシル
08/19/2007 (Sun)
今日も一人で映画。
一人カラオケが流行っているくらいだから、一人映画もおかしくあるめぇ。今日は話題のベクシルという3Dアニメっぽい感じの映画を見てきた。「2077年 日本ハイテク鎖国」と銘打ってどどんと上映されたこの映画。一言で感想をいえば、惜しい、だ。
SFちっくな一発もの映画は非常に難しいと思う。お客さんにその世界にわくわくしてもらわないといけないし、同時に浸ってもらわないといけない。さらに、エンターテイメントなので、盛り上げ箇所もつくらないといけない。ベクセルはこれらが中途半端にやってしまった映画だと思った。
世界観について。
日本に大和重工なる大企業が登場し、そいつが日本を牛耳る存在になってしまい、ある事情により日本を鎖国しなくてはならない。ここまで聞けば相当わくわくする展開だ。また冒頭部分で、「われわれのやっていることは、あらゆる進化論がやがて行き着くところだ」なんて思わせぶりなセリフが出てきたら、そういうのを好きな人にはご飯がいくらでもいけるでしょう。……けど後半なーんか尻すぼみなんだよなあ。みんなが人間の尊厳を守るために戦うって言うけど、その理由がいまいち希薄だし(切実なものとして感じられない)、大和重工の悪さも必要性がいまいち足りない。そしてハイテク鎖国の中心にいる人物が、あんなに小者ときたら、ちょいとがっかりだ。こういうファンタジーでない近未来の物語を作るとしたら「あり得るなあ」と舌を巻くような、納得感と恐怖心がほしい。
人間関係について。
マリアって誰ですか? いきなり出てくる反大和重工作戦のトップにいるお方。過去やレオンとの関係がところどころでクローズアップされるが、自分としてはあまり興味なし。近未来の物語に「愛」とかそういう高尚?なものはいるのだろうか? 映画が終わった後に「愛する人がいるって大切だね」とおう感想を持ってもらいたいのだろうか? SFやるんだったら「あの世界、ちょっと怖いよね〜」って感想もらいたいんじゃないの? 全体的に深みが全然ない。いっそなしの方が良いと思った。
アクションシーンについて。
これは「音」がすごい。銃撃の音とかかなり質感があって痛そうだった。冒頭部分のアクションも迫力満点。大和重工産のロボットが無機質に戦う様など最高だった。しかし、後半こういうのが一気になくなってしまって、最後のアクションは「あれ?」って感じだった。ここで盛り上げないとダメなんでないの?
いろいろあったが、55点ということで。
一人カラオケが流行っているくらいだから、一人映画もおかしくあるめぇ。今日は話題のベクシルという3Dアニメっぽい感じの映画を見てきた。「2077年 日本ハイテク鎖国」と銘打ってどどんと上映されたこの映画。一言で感想をいえば、惜しい、だ。
SFちっくな一発もの映画は非常に難しいと思う。お客さんにその世界にわくわくしてもらわないといけないし、同時に浸ってもらわないといけない。さらに、エンターテイメントなので、盛り上げ箇所もつくらないといけない。ベクセルはこれらが中途半端にやってしまった映画だと思った。
世界観について。
日本に大和重工なる大企業が登場し、そいつが日本を牛耳る存在になってしまい、ある事情により日本を鎖国しなくてはならない。ここまで聞けば相当わくわくする展開だ。また冒頭部分で、「われわれのやっていることは、あらゆる進化論がやがて行き着くところだ」なんて思わせぶりなセリフが出てきたら、そういうのを好きな人にはご飯がいくらでもいけるでしょう。……けど後半なーんか尻すぼみなんだよなあ。みんなが人間の尊厳を守るために戦うって言うけど、その理由がいまいち希薄だし(切実なものとして感じられない)、大和重工の悪さも必要性がいまいち足りない。そしてハイテク鎖国の中心にいる人物が、あんなに小者ときたら、ちょいとがっかりだ。こういうファンタジーでない近未来の物語を作るとしたら「あり得るなあ」と舌を巻くような、納得感と恐怖心がほしい。
人間関係について。
マリアって誰ですか? いきなり出てくる反大和重工作戦のトップにいるお方。過去やレオンとの関係がところどころでクローズアップされるが、自分としてはあまり興味なし。近未来の物語に「愛」とかそういう高尚?なものはいるのだろうか? 映画が終わった後に「愛する人がいるって大切だね」とおう感想を持ってもらいたいのだろうか? SFやるんだったら「あの世界、ちょっと怖いよね〜」って感想もらいたいんじゃないの? 全体的に深みが全然ない。いっそなしの方が良いと思った。
アクションシーンについて。
これは「音」がすごい。銃撃の音とかかなり質感があって痛そうだった。冒頭部分のアクションも迫力満点。大和重工産のロボットが無機質に戦う様など最高だった。しかし、後半こういうのが一気になくなってしまって、最後のアクションは「あれ?」って感じだった。ここで盛り上げないとダメなんでないの?
いろいろあったが、55点ということで。
地方の閉塞感
08/15/2007 (Wed)
お盆に実家に帰った。天気も良く、自然が多い環境だったので、のびのびできた。やることがないということはこれほど良いことだったのか、と再認識した。田舎の方がシンプルに生きれるかもしれない。都会だと、どうしても時間や金を費やす何かがそこら中に散乱しており、自分のエネルギーが霧消していくような気がするのだ。
その一方で、田舎ゆえの閉塞感も漂っていたような気がする。ある友人が夢がないと嘆いていた。ある友人は今の仕事をやめるといっていた。ある友人は半ひきこもり状態になり、パチンコをしながら暮らしている状態になってしまっていた。みんなあの木造校舎で学んだ仲間だちである。食ってはいけるけど、そこ先がないような、そんな空気が漂っていた。これには本当に悲しくなった。みな若いのに、そのエネルギーをもてあましているように見えた。
母が介護施設に勤めているが、最近新しく入る新人は皆「臨時採用」として雇われているそうだ。仕事内容はベテラン看護婦たちと一緒だが、待遇がぜんぜん違うそうなのだ。給料は半分程度になってしまっていて、賞与も全然違う。この施設は公的な施設だったらしいが、予算削減に伴い、法人化され、職員の給与水準も下がってしまったのだろう。母は「同じ仕事をしているのにかわいそうだ」と言っていた。若いのに、ただ安い給料で大人の都合の元で働かされているように思えた。誰も未来を担う若者として育てる人はいないのだろうか?
友人たちの目に覇気がなくなっていくのが本当に恐ろしい。
その一方で、田舎ゆえの閉塞感も漂っていたような気がする。ある友人が夢がないと嘆いていた。ある友人は今の仕事をやめるといっていた。ある友人は半ひきこもり状態になり、パチンコをしながら暮らしている状態になってしまっていた。みんなあの木造校舎で学んだ仲間だちである。食ってはいけるけど、そこ先がないような、そんな空気が漂っていた。これには本当に悲しくなった。みな若いのに、そのエネルギーをもてあましているように見えた。
母が介護施設に勤めているが、最近新しく入る新人は皆「臨時採用」として雇われているそうだ。仕事内容はベテラン看護婦たちと一緒だが、待遇がぜんぜん違うそうなのだ。給料は半分程度になってしまっていて、賞与も全然違う。この施設は公的な施設だったらしいが、予算削減に伴い、法人化され、職員の給与水準も下がってしまったのだろう。母は「同じ仕事をしているのにかわいそうだ」と言っていた。若いのに、ただ安い給料で大人の都合の元で働かされているように思えた。誰も未来を担う若者として育てる人はいないのだろうか?
友人たちの目に覇気がなくなっていくのが本当に恐ろしい。
映画トランスフォーマーと物語の方法論
08/12/2007 (Sun)
映画「トランスフォーマー」を見てきた。こういう映画は映像の美しさ・迫力だけ先立ってストーリーが置いてけぼりになりがちだが、これは及第点でしょう! パイレーツなんとかよりも20倍くらい楽しめました!
なんといっても映像がケチってないので良い。日本映画の戦争ものだと、イージス艦の打つ一発のミサイルだけが見せ場だったりするが、そんな出し惜しみ的なものは一切なしで、全部が見せ場である。また、続きのない一発ものの魅力でもあるだろう。最近流行りのシリーズものは見せ場がイマイチなまま終わるので、げんなりすることが多い。エンターテイメントを勘違いしてはいけないと思う。
ああ、飛び交うミサイルや機関銃、何十億何百億もするヘリや戦闘機が墜ちる妙な爽快感。トランスフォーマーに全く手も足も出ないアメリカ軍。
仲間を大事にする、ということ以外、余計なイデオロギーの入っていなさが最高である。しっかりエンターテイメントしている。ヒロインがかわいくないってうわさもあるが、それくらいがリアルで良いと思った。ちゃんとセクシーだったしね。むしろ恋焦がれたくらいだ。
余計なことだが、やっぱり世界の脅威に対抗する人類の力ってのは「アメリカ軍」なのねって思った。途中で、ロシアや中国、北朝鮮といった勢力が絡んできそうな雰囲気もあったが、それは作中のセリフでのみだった。あくまで主体はアメリカ軍なのである。そして、北極に落ちたキューブと呼ばれる力の源を隠し持っているのもアメリカなのである。ハリウッド製作だから仕方ないにしても、彼らの正義の根底にはやはり軍隊という力があるのだなと感じた。それが良いとか悪いとか言うつもりは一切なく、そんな気配を感じただけだ。一体どんな気持ちなのだろうか? 世界最強の軍隊をもっている国民というのは。彼らが語る正義には、実物の軍隊がしっかり保証しうる実力が背骨になっているような気がするのだ(特に無意識の中に)。
対して日本はどうかというと、語るべき物語の根底には無国籍的な美意識が備わっているような気がする。普遍性のあるというか、誰にでも通じやすい感情といったものである。第二次世界大戦で敗北して以来、力を語ることを封印された人々は、架空の世界に、自分たちの美意識を投影して物語ることを余儀なくされた、ように思うわけだ。物語を打ち出すには、あるテーゼに対して存在するアンチテーゼを打ち破るという方法論があるが、はてはて、現実の力でそれができない以上、なにでそれを成し遂げるのだろうか? それは架空の世界の住人に対して、ふさわしい力をふさわしい時期に与え、それを実践するのではなかろうか? ある種の神様のような方法だと思う。それを漫画だのアニメだの小説だのでやっているのではないか。なんだか難しく書いたが、一言で言うと「現実でやると文句言う人がいるから、想像の世界の出来事として書けばいんじゃね?」ということだ。
今のところこれが成功しているかというと、それなりに成功しているように思える。むしろこういう形にシフトしないと過去の栄光を引っ張り出したり、捏造しだしたり、無理やりネタを作り出しかねない。しかもそれは、ある国の総体が行うものだったりするわけだから、悪い意味で規模がでかい。人間には物語るという本能がある以上、コントロールしていかなくてはいけないだろう。日本人はそれをずいぶんバーチャルな感じにやっていると思う。
今はハーフなバーチャルが多いかな。トランスフォーマーでいうと…善:現実の力(米軍) 悪:架空の悪者(メガトロン)。
なんといっても映像がケチってないので良い。日本映画の戦争ものだと、イージス艦の打つ一発のミサイルだけが見せ場だったりするが、そんな出し惜しみ的なものは一切なしで、全部が見せ場である。また、続きのない一発ものの魅力でもあるだろう。最近流行りのシリーズものは見せ場がイマイチなまま終わるので、げんなりすることが多い。エンターテイメントを勘違いしてはいけないと思う。
ああ、飛び交うミサイルや機関銃、何十億何百億もするヘリや戦闘機が墜ちる妙な爽快感。トランスフォーマーに全く手も足も出ないアメリカ軍。
仲間を大事にする、ということ以外、余計なイデオロギーの入っていなさが最高である。しっかりエンターテイメントしている。ヒロインがかわいくないってうわさもあるが、それくらいがリアルで良いと思った。ちゃんとセクシーだったしね。むしろ恋焦がれたくらいだ。
余計なことだが、やっぱり世界の脅威に対抗する人類の力ってのは「アメリカ軍」なのねって思った。途中で、ロシアや中国、北朝鮮といった勢力が絡んできそうな雰囲気もあったが、それは作中のセリフでのみだった。あくまで主体はアメリカ軍なのである。そして、北極に落ちたキューブと呼ばれる力の源を隠し持っているのもアメリカなのである。ハリウッド製作だから仕方ないにしても、彼らの正義の根底にはやはり軍隊という力があるのだなと感じた。それが良いとか悪いとか言うつもりは一切なく、そんな気配を感じただけだ。一体どんな気持ちなのだろうか? 世界最強の軍隊をもっている国民というのは。彼らが語る正義には、実物の軍隊がしっかり保証しうる実力が背骨になっているような気がするのだ(特に無意識の中に)。
対して日本はどうかというと、語るべき物語の根底には無国籍的な美意識が備わっているような気がする。普遍性のあるというか、誰にでも通じやすい感情といったものである。第二次世界大戦で敗北して以来、力を語ることを封印された人々は、架空の世界に、自分たちの美意識を投影して物語ることを余儀なくされた、ように思うわけだ。物語を打ち出すには、あるテーゼに対して存在するアンチテーゼを打ち破るという方法論があるが、はてはて、現実の力でそれができない以上、なにでそれを成し遂げるのだろうか? それは架空の世界の住人に対して、ふさわしい力をふさわしい時期に与え、それを実践するのではなかろうか? ある種の神様のような方法だと思う。それを漫画だのアニメだの小説だのでやっているのではないか。なんだか難しく書いたが、一言で言うと「現実でやると文句言う人がいるから、想像の世界の出来事として書けばいんじゃね?」ということだ。
今のところこれが成功しているかというと、それなりに成功しているように思える。むしろこういう形にシフトしないと過去の栄光を引っ張り出したり、捏造しだしたり、無理やりネタを作り出しかねない。しかもそれは、ある国の総体が行うものだったりするわけだから、悪い意味で規模がでかい。人間には物語るという本能がある以上、コントロールしていかなくてはいけないだろう。日本人はそれをずいぶんバーチャルな感じにやっていると思う。
今はハーフなバーチャルが多いかな。トランスフォーマーでいうと…善:現実の力(米軍) 悪:架空の悪者(メガトロン)。
幼馴染が結婚します
08/09/2007 (Thu)
昨日のエントリは愚痴気味でちょいと気持ち悪かったので反省している。こんな負の面をもつテキストでも、ネットの肥やしになっていることを考えると、もっと書き方があったんだろうなと思う。
話は変わって、幼馴染が結婚することになった。「プロポーズ大作戦」ではないが、ずっと同じ環境で育ってきた期間が長かったので、信じられないような、おめでたいような不思議な感じだ。でもお互いに本気で何かについて話し合ったことはない気もする。九年も一緒だったのに、自分が子供だったため、お互いの腹の底を知らない奇妙な間柄だったとも、今は思える。けれど、あいつのことは非常に好意的に思っている(恋愛感情とかではなく)。素直におめでとうと言いたい。
あいつが初めて、自分の意識の中に強烈に入ってきたのは、小学生の徒競走の時。男の中では自分が一番早かったものの、あいつは女子のくせに(差別発言)俺よりもさらに速かった。とにかく脚力がハンパじゃなかった。それでかなり嫉妬したものだ。そんな感じで、複雑な心の通わせあいをしたわけではなく、無邪気なもの同士の遊び相手としてお互いを認識していた感じだ。それが中学校になって、高校になっていくにつれて、根っこは似たもの同士だったかもしれないが、それぞれの茎が独立していった。
少し、あいつの茎から離れた今、こうして見返してみると、「人それぞれで面白いね」ってことだ。どれだけ一緒でも、別れていく運命ってのがあるかもしれない。その逆も大いに。それでそれで、今あの時よりも大人になった自分が、あいつの腹の底を知りたいのか、というと半分イエスで半分ノーだ。あいつはほとんど他人になってしまったし、あいつから知りたい俺に関することは、あいつが過去に感じていた自分の印象についてだ。現在のあいつにはもう自分は関係していない。
話は変わって、幼馴染が結婚することになった。「プロポーズ大作戦」ではないが、ずっと同じ環境で育ってきた期間が長かったので、信じられないような、おめでたいような不思議な感じだ。でもお互いに本気で何かについて話し合ったことはない気もする。九年も一緒だったのに、自分が子供だったため、お互いの腹の底を知らない奇妙な間柄だったとも、今は思える。けれど、あいつのことは非常に好意的に思っている(恋愛感情とかではなく)。素直におめでとうと言いたい。
あいつが初めて、自分の意識の中に強烈に入ってきたのは、小学生の徒競走の時。男の中では自分が一番早かったものの、あいつは女子のくせに(差別発言)俺よりもさらに速かった。とにかく脚力がハンパじゃなかった。それでかなり嫉妬したものだ。そんな感じで、複雑な心の通わせあいをしたわけではなく、無邪気なもの同士の遊び相手としてお互いを認識していた感じだ。それが中学校になって、高校になっていくにつれて、根っこは似たもの同士だったかもしれないが、それぞれの茎が独立していった。
少し、あいつの茎から離れた今、こうして見返してみると、「人それぞれで面白いね」ってことだ。どれだけ一緒でも、別れていく運命ってのがあるかもしれない。その逆も大いに。それでそれで、今あの時よりも大人になった自分が、あいつの腹の底を知りたいのか、というと半分イエスで半分ノーだ。あいつはほとんど他人になってしまったし、あいつから知りたい俺に関することは、あいつが過去に感じていた自分の印象についてだ。現在のあいつにはもう自分は関係していない。
関わりたくない人
08/07/2007 (Tue)
のど元過ぎれば、熱さを忘れるだっけか?
日常でカッとなったり、おかしいなと思ったことも、時間が経過するときれいさっぱりと忘れることのできる能力が自分にはある。あまりストレスが溜まらなくていいな、と思っている一方、何かに対する執着もイマイチなので、一長一短といったところか。
ブログもそんな感じで、日常書きたいと思った瞬間はけっこう多いが、自宅に帰って休んでいるとそのまま書かず終いということがある。だが、筆をとれば、なんとなくやる気も出てくるもんである。人間は行動の瞬間瞬間に霊感が宿るものだという話もある。
腫れ物を触るような、かなりセンシティブなテーマだけど、思ったことをそのまま書きたい。自分には、あまり親しくないうつ病患者の知り合いがいる。最近病院に通いながらも、同じ研究室に戻ってきたのだが、まだまだ完治とはいえない状態であった。しかし、研究室に戻ってきた以上、それなりの「付き合い」が発生する。
この男、かなり人間として尊敬したくない人種なのだ。いつも口を開けば「めんどくさい」「だりー」。相づちもすんごい適当「ですよね〜」。どんな時でも勘違いしたまま飛び込んでいくので、その二次被害をなかなかすさまじい。先生の話をろくに聞かず質問しにいくので、聞いている周囲の人間はひやひやしながら聞いている。しかし酒や遊びのことになると、古臭いジャスチャーを繰り出し、周囲を巻き込んで盛り上げようとしていく。一言でいえば、他人の話を聞けない人なのだ。
しかし、「うつ病」であるため怒るに怒れない。怒ると再発する可能性があるからだ。それとなく言うこともあるがぜんぜん聞かないのでかなり参ってしまう。正直関わりたくない。一緒に居るだけで余計な神経をすり減らしてしまう。で、症状が改善するよう切望するほど親しい仲でもないので、残酷な意見だが勝手にしてくれって思ってしまう。
あー自分は優しくないな……
日常でカッとなったり、おかしいなと思ったことも、時間が経過するときれいさっぱりと忘れることのできる能力が自分にはある。あまりストレスが溜まらなくていいな、と思っている一方、何かに対する執着もイマイチなので、一長一短といったところか。
ブログもそんな感じで、日常書きたいと思った瞬間はけっこう多いが、自宅に帰って休んでいるとそのまま書かず終いということがある。だが、筆をとれば、なんとなくやる気も出てくるもんである。人間は行動の瞬間瞬間に霊感が宿るものだという話もある。
腫れ物を触るような、かなりセンシティブなテーマだけど、思ったことをそのまま書きたい。自分には、あまり親しくないうつ病患者の知り合いがいる。最近病院に通いながらも、同じ研究室に戻ってきたのだが、まだまだ完治とはいえない状態であった。しかし、研究室に戻ってきた以上、それなりの「付き合い」が発生する。
この男、かなり人間として尊敬したくない人種なのだ。いつも口を開けば「めんどくさい」「だりー」。相づちもすんごい適当「ですよね〜」。どんな時でも勘違いしたまま飛び込んでいくので、その二次被害をなかなかすさまじい。先生の話をろくに聞かず質問しにいくので、聞いている周囲の人間はひやひやしながら聞いている。しかし酒や遊びのことになると、古臭いジャスチャーを繰り出し、周囲を巻き込んで盛り上げようとしていく。一言でいえば、他人の話を聞けない人なのだ。
しかし、「うつ病」であるため怒るに怒れない。怒ると再発する可能性があるからだ。それとなく言うこともあるがぜんぜん聞かないのでかなり参ってしまう。正直関わりたくない。一緒に居るだけで余計な神経をすり減らしてしまう。で、症状が改善するよう切望するほど親しい仲でもないので、残酷な意見だが勝手にしてくれって思ってしまう。
あー自分は優しくないな……
バレーボールと、ある女性
08/05/2007 (Sun)
おかしな夢を見た。
高校時代の頃のような風景で、突然バレーボール大会が開催されていた。自分はバレーボールがとても苦手なため、いつも体育の時間などは特に楽しい思いをしたことがなかった(逆にバスケットは得意だったが)。
夢の中では大会目前だった。参加チームは4チームほどで、自分はさえない連中と一緒のチームだった。自分もそのさえない連中の一人ということだ。体育館のコートが一面しかないため、別のチームの試合が終わるのを見ている。そのうちの一チームは女子だけで構成されていた。やがて彼女らの試合が終わって、体育館のステージで休憩を取り始めた。同時に自分たちの試合になるため、彼女らを横目に不得意なバレーボールを嫌々プレイしにいく。
ステージで休む女子チームの中にとても素敵な女性がいることに気づいた。横目で見ていたのだから、外見的にという意味だが。快活そうで、賢そうな女性だった。自分はその女性にかっこいいところを見せようと、苦手なバレーに奮闘するが、まったくうまくいかない。サーブが拾えない。まともにトスができない。確実にチームの足をひっぱるようなプレイしかできなかった。
やがて恥ずかしい気持ちやチームへの申し訳なさが、その素敵な女性の存在を忘れさせてしまった。ふがいない自分へのやるせなさだけが自分の中に蓄積されて。
夢から覚めて、ふがいなさから解放された。ふと、その女性のことを思い出す。紺の学生服を、夏らしく着た素敵な女性であった。
高校時代の頃のような風景で、突然バレーボール大会が開催されていた。自分はバレーボールがとても苦手なため、いつも体育の時間などは特に楽しい思いをしたことがなかった(逆にバスケットは得意だったが)。
夢の中では大会目前だった。参加チームは4チームほどで、自分はさえない連中と一緒のチームだった。自分もそのさえない連中の一人ということだ。体育館のコートが一面しかないため、別のチームの試合が終わるのを見ている。そのうちの一チームは女子だけで構成されていた。やがて彼女らの試合が終わって、体育館のステージで休憩を取り始めた。同時に自分たちの試合になるため、彼女らを横目に不得意なバレーボールを嫌々プレイしにいく。
ステージで休む女子チームの中にとても素敵な女性がいることに気づいた。横目で見ていたのだから、外見的にという意味だが。快活そうで、賢そうな女性だった。自分はその女性にかっこいいところを見せようと、苦手なバレーに奮闘するが、まったくうまくいかない。サーブが拾えない。まともにトスができない。確実にチームの足をひっぱるようなプレイしかできなかった。
やがて恥ずかしい気持ちやチームへの申し訳なさが、その素敵な女性の存在を忘れさせてしまった。ふがいない自分へのやるせなさだけが自分の中に蓄積されて。
夢から覚めて、ふがいなさから解放された。ふと、その女性のことを思い出す。紺の学生服を、夏らしく着た素敵な女性であった。
本業の調子が良い=全て好調かと
08/03/2007 (Fri)
研究が前進の兆し。計算機サーバが後は延々と計算をするような状態に持っていったらほとんどやることがなくなりそう。明日計算結果が出る予定なので、吉と出るか凶と出るか、ドキドキなのであります。
調子が良いってのは本当に重要で、自分が置かれている状態が良いとほかのことにも手を出そうかなと思えるようになる。ほかの勉強をしてみよう、とかほかの研究をかじってみよう手伝ってみようとか。また新しい趣味を始めようか検討したり、実に前向きで生産的な気分になれる。逆に調子が悪いのは悲惨だ。ほかの事をやるのに罪悪感を感じるようになってしまう。本業の調子が良くないのに、こんなことをしていて良いのだろうか……という負のスパイラルを生み出す気分になる。これが深刻になると登校拒否や出社拒否になってしまうんだろう。
調子が悪そうな人にアドバイスや気分転換をすすめることについて、いくつか。
気分転換をすすめるのは、大抵「調子」の良い人である。本業がうまくいっていて他人にアドバイスをしてやろうという気持ちになっている人だ。本人は大変有意義なアドバイスをしているつもりでも、相手にはイマイチ伝わらない。なぜなら一時期のリフレッシュが事態を好転するようなことにはなかなか繋がらないと感じているからだ。この場合は、その人の本業を手伝ってあげて、事態が好転に向かうまでの時間を短くしたほうが、生産的だろう。
一番良くないと思うのが、「調子」の良い人が精神論的なアドバイスをする場合だ。調子が悪いのは、その人が持っている内面的な要素が原因だと決め付けて、それを有難いことに訂正してくれる。責任感のある人ほど、こういった無責任なアドバイスを引き受けてしまい、自分はダメな人間なんだと落ち込んでしまう。こうなると益々本業に身が入らなくなってしまい、学習意欲すら低下する。だから、精神論なんて曖昧なものは二の次で、まず具体的な方法を教えるべきだろう。こうすればできる、こう考えれば前に進む、こういう資料があるから読んでみたら、などなど。具体的な方法で、まだ前に進めることを感じてもらうのが大事だ。
精神的なものなんて、そのときの状況によって如何様にも変化する。たまたま良い状況だからといって、無責任なアドバイスをしないように自分は心がけたい。まあ、本業が大事なのは精神衛生上、最高に重要だと感じた。
調子が良いってのは本当に重要で、自分が置かれている状態が良いとほかのことにも手を出そうかなと思えるようになる。ほかの勉強をしてみよう、とかほかの研究をかじってみよう手伝ってみようとか。また新しい趣味を始めようか検討したり、実に前向きで生産的な気分になれる。逆に調子が悪いのは悲惨だ。ほかの事をやるのに罪悪感を感じるようになってしまう。本業の調子が良くないのに、こんなことをしていて良いのだろうか……という負のスパイラルを生み出す気分になる。これが深刻になると登校拒否や出社拒否になってしまうんだろう。
調子が悪そうな人にアドバイスや気分転換をすすめることについて、いくつか。
気分転換をすすめるのは、大抵「調子」の良い人である。本業がうまくいっていて他人にアドバイスをしてやろうという気持ちになっている人だ。本人は大変有意義なアドバイスをしているつもりでも、相手にはイマイチ伝わらない。なぜなら一時期のリフレッシュが事態を好転するようなことにはなかなか繋がらないと感じているからだ。この場合は、その人の本業を手伝ってあげて、事態が好転に向かうまでの時間を短くしたほうが、生産的だろう。
一番良くないと思うのが、「調子」の良い人が精神論的なアドバイスをする場合だ。調子が悪いのは、その人が持っている内面的な要素が原因だと決め付けて、それを有難いことに訂正してくれる。責任感のある人ほど、こういった無責任なアドバイスを引き受けてしまい、自分はダメな人間なんだと落ち込んでしまう。こうなると益々本業に身が入らなくなってしまい、学習意欲すら低下する。だから、精神論なんて曖昧なものは二の次で、まず具体的な方法を教えるべきだろう。こうすればできる、こう考えれば前に進む、こういう資料があるから読んでみたら、などなど。具体的な方法で、まだ前に進めることを感じてもらうのが大事だ。
精神的なものなんて、そのときの状況によって如何様にも変化する。たまたま良い状況だからといって、無責任なアドバイスをしないように自分は心がけたい。まあ、本業が大事なのは精神衛生上、最高に重要だと感じた。
「昔はよかった」の心理とは
08/02/2007 (Thu)
mixiで友人の日記を見ていると、回顧主義者のような人がけっこういる。自分も部分的にそんな感じかもしれないが、槇原敬之の「どんなときも」の歌詞にあるように「昔はよかったねと」いつも言いながら過ごすのは嫌なので、現状を肯定しつつ、というポリシーがあるつもりだ。
「昔はよかった」
「昔は楽しかった」
これらの意味は自分にとって、けっこう怖いように感じられる。暗に「今が楽しくない」「今が充実していない」ということを告白しているように思えるからだ。これから先も暗い未来しかないようなイメージ。絶望のイメージ。みんな無意識にそれがわかっている。だから日常では、それほど「昔はよかった」とは出ない。けれどプライベートな時や場所で、フッとそれが出る。それを自分は酒の席やmixiでけっこう見る。言いたいのはわかるし、愚痴として外に出すことは良いことだからいいんだけれど、寒気がする。
「今だけを見て、過去にすがっていないで生きろ」
と自分は勇気を持って言えない。つらいのは今だし、今はとっても複雑だ。今だけを見る必要性が万人にあるとも思えない。昔の思い出に浸りながら、同窓会で昔のことばかり話ながら酒を飲むのも悪くないのかもしれない。けれどそれが魅力的であるかどうかはまた別の問題だ。自分には少なくとも魅力的には映らない。それと他人と関わって生活していく以上、今を見て、対応しながらもがいていく必要がある。過去にすがって生きていける人は、完全に閉じた世界に居ても大丈夫な状況にある人だけではないか。
「昔はよかった」と言ってしまう心理はどのようなことに起因しているんだろう? 「今」の悪いところが「今」よく見えてしまっている、ということを差し引いても、あまりに「昔」は魅力的に感じられる。自分が考えているのは、昔には多様なコミュニケーションが存在していた、という印象のせいだと思う。印象としたのは必ずしも、そういう事実があったとは言えないからそのように表現した。ただ事実と印象では、今の場合印象の方がずっと重要であるが。
多様なコミュニケーションとは、親・兄弟・友人・親戚・近所・教師などである。昔は親がいた。そしてさまざまなタイプの友人が居た。学力や能力、趣味趣向でカテゴライズされていない雑多なクラスがそこにあった。ものを教える大人がいた。そういうものが収まる空間―学校があった。ああ! なんて魅力的な環境なんだろう! さまざまな人間がいてたくさんの刺激があったのだ。それが年を重ねるごとに、自然とカテゴライズされ、似たような人間しか周囲にいなくなっているような気がする。そのほうが経済的には効率がいいのだろうか? 自分は会社に入ったらきっと色んなタイプの人間がいるだろうが、似たようなことを勉強し、大学という常識のフィルタリングを通った、素直に付き合いやすい人たちがいるんだろうと思う。安心だが、刺激的だろうか? 「昔」のような、もっと純粋で遊び心に満ちたコミュニケーションが存在するんだろうか? もう24になる。コミュニケーションの島宇宙はだんだん硬化し、新陳代謝がにぶっている。
けれどみんな寂しいのだ。
自分はこれを寂しさの圧力と呼んでいるが、この力が顕在化するのは一体どこだろうか? 自分はネットワークの中で起きると信じているのだが。
「昔はよかった」
「昔は楽しかった」
これらの意味は自分にとって、けっこう怖いように感じられる。暗に「今が楽しくない」「今が充実していない」ということを告白しているように思えるからだ。これから先も暗い未来しかないようなイメージ。絶望のイメージ。みんな無意識にそれがわかっている。だから日常では、それほど「昔はよかった」とは出ない。けれどプライベートな時や場所で、フッとそれが出る。それを自分は酒の席やmixiでけっこう見る。言いたいのはわかるし、愚痴として外に出すことは良いことだからいいんだけれど、寒気がする。
「今だけを見て、過去にすがっていないで生きろ」
と自分は勇気を持って言えない。つらいのは今だし、今はとっても複雑だ。今だけを見る必要性が万人にあるとも思えない。昔の思い出に浸りながら、同窓会で昔のことばかり話ながら酒を飲むのも悪くないのかもしれない。けれどそれが魅力的であるかどうかはまた別の問題だ。自分には少なくとも魅力的には映らない。それと他人と関わって生活していく以上、今を見て、対応しながらもがいていく必要がある。過去にすがって生きていける人は、完全に閉じた世界に居ても大丈夫な状況にある人だけではないか。
「昔はよかった」と言ってしまう心理はどのようなことに起因しているんだろう? 「今」の悪いところが「今」よく見えてしまっている、ということを差し引いても、あまりに「昔」は魅力的に感じられる。自分が考えているのは、昔には多様なコミュニケーションが存在していた、という印象のせいだと思う。印象としたのは必ずしも、そういう事実があったとは言えないからそのように表現した。ただ事実と印象では、今の場合印象の方がずっと重要であるが。
多様なコミュニケーションとは、親・兄弟・友人・親戚・近所・教師などである。昔は親がいた。そしてさまざまなタイプの友人が居た。学力や能力、趣味趣向でカテゴライズされていない雑多なクラスがそこにあった。ものを教える大人がいた。そういうものが収まる空間―学校があった。ああ! なんて魅力的な環境なんだろう! さまざまな人間がいてたくさんの刺激があったのだ。それが年を重ねるごとに、自然とカテゴライズされ、似たような人間しか周囲にいなくなっているような気がする。そのほうが経済的には効率がいいのだろうか? 自分は会社に入ったらきっと色んなタイプの人間がいるだろうが、似たようなことを勉強し、大学という常識のフィルタリングを通った、素直に付き合いやすい人たちがいるんだろうと思う。安心だが、刺激的だろうか? 「昔」のような、もっと純粋で遊び心に満ちたコミュニケーションが存在するんだろうか? もう24になる。コミュニケーションの島宇宙はだんだん硬化し、新陳代謝がにぶっている。
けれどみんな寂しいのだ。
自分はこれを寂しさの圧力と呼んでいるが、この力が顕在化するのは一体どこだろうか? 自分はネットワークの中で起きると信じているのだが。
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