友人Tの死

さっき友人Yから電話があった。
「高校の友人のTが死んだ。心筋梗塞らしい」
友人Tとは高校一年の頃のクラスメイトだ。友人YはTと二年からクラスメイトで、共通の友人ということになる。友人Yはどうなのかは知らないが、自分とTとは高校卒業以後、全くの疎遠だった。六年ぶりに彼の名前を思い出したことになる。

Tは大変に優秀な奴だった。帰宅部で、東大に入るため毎日六時間は机に向かっているようなまじめな奴だった。それでいて社交性も抜群で、一年生の頃はクラスの級長も任されていた。授業中も、先生とよく冗談を交し合うほど信頼を得ていたように見えた。とにかく非の打ち所のない人間だった。

彼ほど優秀でも真面目でもなかった自分は、よく彼に数学の問題を聞いていた。彼の説明はとてもわかりやすくて、数学の時間の前はいつも行列ができているほどだった。席替えでも黒板がよく見える席として、最前列付近を希望していた。自分もそれを途中から見習うようになった。

二十四年生きてきて、初めて同年代の友人を失った。正直言って特別に悲しいわけではない。けれど強烈な空しさに襲われる。

なぜ?
なぜに彼なんだろうか?

自分は今日、人だらけの駅内を歩いてきた。様々な顔をした様々な年齢をした人たちで溢れかえっていた。

なぜ、彼が死ななければならないのか?
理由なんてよくわからんが
納得できる理由なんてあるのかわからんが
それでも疑問に思ってしまう。

明日、彼や自分がいなくとも世の中は何の問題もなく回っていくだろう
人間一人はしょせん極小の歯車に過ぎないことがわかる
歯車が数個かけたところで、世界は強力に前進していく
22:07 | 日常 | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

分かりやすい説明=概念の再利用

※一部、極論・暴論あり
 筆者のモチベーションを保つためのものですので深く考えないで下さい。


どうしても説明が下手な人はいる。
あとで別の友人に聞いてみたら「こんな簡単なことだったのか……」
と思うようなことが、その説明下手な人からだと全然理解できない。

下手すると喧嘩になるかもしれない。
説明下手人間は“お前の理解力が足りない”と思っているし
説明を受ける人は“あいつの説明が悪い”と思って軽蔑しあう。

でもって説明下手人間が上司や先生ならばコレ最悪。
その説明を理解出来ないと不利な評価を受けることになり、その場しのぎのために理解したフリをしなくてはならなくなる。
でもって、後でメッキが剥がれて痛い目に合う。
結局悪い評価を付けられる。
そうやって組織がガタガタになっていく。

これを組織内のコミュニケーションがうまくいってなかったと、とっても抽象的な言葉で片付けるのが大流行している。これって結局、わかりにくい説明が組織内に横行していたからじゃないのか? 部下の行動を方向づける説明がうまく伝達されてなかったんじゃないのか?

もしあなたの友人がパソコンに詳しかったら、次の質問をしてみよう。それでだいたいその人が“わかりやすいタイプ”なのか“わかりにくいタイプ”なのかが診断できる。
(1)パソコンとは何ですか?
(2)環境変数って何?

例えばこれでもしも(1)の質問で、あなたがパソコンについて知識0にも関わらず、ハードウェア構成などから話し始めたら、その人はUS[“う”まく、“せ”つめいできない]である。暴論すれば、これでその人が空気を読める人なのかそうでないかがわかる。なぜならば、ハードウェアうんぬんの説明を相手は望んでいないのに、そうした説明をする、すなわち説明者が相手の頭の中の程度をスキャンできていない、すなわち相手の立場に立っていない、すなわち空気が読めていないということなのだ。

飲み会の席で周囲の人が引いてしまうようなことを平気で言う方がいる。その人は周囲の人が望んでいないことを喋って、周囲の人が嫌だなと思っているのを察することができず、つまり考えていることを理解しようとしない、相手の立場に立っていない、すなわち空気が読めていないのである。

 話がそれた。
 じゃあ、どうしたら分かってくれるのか?
 ずばり簡単な言葉でまとめると、
『わかりやすい説明とは相手が所有している概念を再利用し伝えること』だ。
・ゆっくりした口調で
・説明の順番を結論から
・専門用語を使わない
http://www.noma.or.jp/koumu/com_skill/page03.html
など、いろいろ細かなメソッドを説明する人もいるが端的に言うならコレしかない!
『わかりやすい説明とは相手が所有している概念を再利用し伝えること』
これができていれば早口でも構わず、説明の順番がめちゃくちゃでもOK! 相手に伝わるんだったら専門用語も駆使しよう!

具体的に説明しよう。
つまりあなたの所有している概念を再利用し説明した例を提示しよう。

(1)パソコンとは何ですか?
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa319870.html
 パソコンとは頭の良い赤ん坊です。パソコン単体では何もできませんが、あなたが仕事の仕方を教えることで、えらい速度で仕事を終わらせてくれます。ただ赤ん坊なので最初は手足の動かし方すらわかりません。そこで基本的な身体の動作を教えてもらう必要があります。その役割を担っているのがOSです。OSによって手足を動かすことができました。これでやっと文章を書けたり、絵を描いたりできます。基本動作ができた上で、文章や絵を書くことができるのですが、そういう固有の仕事はソフトウェアがパソコンに教えてくれるのです。だからあなたが使っているパソコンにはwindowsやらwordが入ってるのです。それをまとめてあなたがパソコンと呼んでいます。

(2)環境変数って何ですか?
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa327188.html
 環境変数とは、数人が同時にだったりバラバラにだったりで仕事をしても、うまく回るように参照するメモみたいなものです。引越しのバイトを考えるなら、次の引継ぎの人に「タンスの場所はここにあります」とか「棚の収納先は二階のキッチンです」のように伝えるメモです。これがなかった数人で仕事できませんよね。環境変数とは、そういう風にソフトやシステムが参照するメモなのです。

(3)デュアルコアCPUって3GHz+3GHzで6GHzになるんじゃねーの?
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1986557.html
 これは仕事をする人間が二人いたからといって、能率が単純に2倍にならないのと同じです。たとえば学校から算数の宿題として1枚のプリントをもらったとしましょう。この1枚の宿題プリントを兄弟二人で片付けられるでしょうか? 隣に兄さんがいても狭くて邪魔なだけではないでしょうか? 逆に宿題が2枚のプリントだったとしましょう。そうしたら能率は単純に2倍になります。つまり、宿題の方が対応していれば3GHz+3GHzで6GHzになります。だから別々の作業を同時にするならデュアルコアCPUの方が速いです。1枚の仕事を6GHzで行うことはできないのです。
 
 
 以上!
 もちろん、細かな間違いはあるよ! でも質問者が望んでいるのはそういうことだろうか? 何もわからない質問者はざっくりとした概念が欲しいのだ。そしてその概念を作ってやるためには、質問者の持っている概念を再利用して再構築して提示するのがてっとり早いのではないか。 
 
 質問(1)では赤ん坊という既存の概念を、質問(2)では数人で仕事をする様子やメモという概念を、質問(3)では宿題のプリントという概念を再利用している。もし単語レベルから概念を構築しようとしたら、単語の概念がわからないから、出来上がった概念は意味として理解されない。というかそれって概念ではないわな。だから質問(1)では、パソコンはCPUはハードディスクといったもので構成されていて〜 OSが基本ソフトとして乗っていて〜 なんて説明してはいけない。
 
 このことを無意識的にわかっているから、誰かに説明を求めるとき「もうちょっと具体的に言ってくれない?」と人はお願いするのだ。これは翻訳すると「もうちょっと俺のもっている概念を使って説明してくれない」というお願いになる。具体的なもの=質問者が所有する概念なのだ。
 
 ということは上に挙げた質問(1)〜(3)の答え方は万人向けではないことがわかる。当然持っている概念が人それぞれ異なっているからだ。場合によっては質問(2)でもっと技術用語を使って説明してもよいだろう。
 
 が問題はそのさじ加減か……
 いくら『わかりやすい説明とは相手が所有している概念を再利用し伝えること』と言い張っても、相手がどんな概念を所有しているのかうまーくスキャンできて、それに絡める形である程度理屈が通るように説明をするのって落語家並みの構成力を必要としないだろうか? 別の頭の良さが必要かもしれない。





23:30 | ひとりごと | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

大学生・大学時代にすべきこと

 大学時代にすべきこと
 大学生のうちにすべきこと
 
 ネットで検索しても具体的な事はあまり書かれていなかったので、当ブログでしぶしぶ書くことにする。絶対にもっと素晴らしい内容を書ける人がいるので、そういう人にはたくさん具体的に書いてもらいたい。
 
 以下、優先順位の高い順から書いていく。
 
1.奨学金を借りる

 学部生には厳しいかもしれないが、奨学金を借りるか借りないかで
『使える時間』と『有効に使える時間』が全く違ってくる。後でも書くがつまらないバイトをするくらいだったら、奨学金という低利子のお金を200万でも300万でも借りれるだけ借りて、時間を有効に使おう。お金がないからといって、間違っても何のためにもならない高時給のバイトなどやってはいけない。時間の無駄だ。あなたの貴重な若い時間を、お金のためだけに費やしては本当にもったいない! 


1.(裏)奨学金が借りれない場合は?

 高時給で、あなたのためになるバイトをしよう。一人で黙々とやる作業よりも何人かでやる共同作業の方が良い。そして作業を通して何かスキルが身についたり、価値ある友情を育むものでありたい。本当に価値あるバイトは友人の紹介などで見つかる場合が多い。バイト募集雑誌にはめったにない。あそこに載っているのは、チェーン店が募集している単純労働のバイトしかない。
 

2.サークルに入る

 自分は自分が思っているよりもずっとずっと未熟な人間である。それを認識するのはネットの掲示板とかじゃなくて、たくさんの人間の中に居てこそなのだ。これを教えてくれるだけでもサークルに大勢の人間の中に飛び込む価値がある。大学にはクラスがない。学部は皆で共同作業をするところではないから友情を深めにくい。コミュニケーション力のない人ほどサークルに入るべきだろう。

 一つだけに入らず、数種類のサークルに最初は出入りしてみよう。自分の興味以外のことをしているところにも積極的に顔を出す。いろんな人間が居て本当に面白いと思う。だんだん選んでいけば良いのだ、写真でも音楽でも何でも。そういったものや人間に精通することで人生はさらに豊かになっていくと思う。単純労働のバイトなんかよりも、こういうところに時間とお金を使うべきだ。お金は社会人になってから回収できる。

 余談だが、学部の卒業式の時、帰り際、会場の前でサークル員に胴上げされた。すんごく嬉しかった。節目節目を彩ってくれるのは人間関係であるのだなと思った。自分は高校の時、部活をやめて自宅と学校を行き帰りする日々を送っていた。卒業式の日もただ行き帰りしただけだったのだ。あの日だけはさすがに虚しくなった。廊下では先輩の卒業を祝う後輩たちでいっぱいでにぎわっていた。どうして自分はあの場に居ないのだろう? 並ぶ見知らぬ後輩たちを避けながら、自分は靴棚のほうへ歩くのである。胴上げされた日の帰り、こういった記憶がよみがえって来た。  

続きはまた明日。
08:49 | ひとりごと | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

雑誌が売れないとかネットのせいだとか、情報食あたりとか

 近年、雑誌が売れないという雰囲気になっているらしい。某有名ブログでもそんな内容が取り扱われていて、そのでの意見は“ネット”におされているから、ということらしい。ネットにそれほど精通していない自分としては、そんなにネットってすごいの? と思ってしまうのだが、よくよく生活パターンを点検してみるとなるほど、と思うところもある。

 まず調べ物はネットからである。でもって大抵ネットで十分である。きっとどこかの本にも詳しく書いてあるんだろうけど、そういう本は目をさらのようにして探さないとまずない。調べ物をする場合の、時間的コストはネットがぶっちぎりの一番である(あらゆる調べ物を平均化した場合ね)。

 本を探すのネットで探す。ネットからあるから、探せてしまう。あれこれ無駄なものを買わなくてすむようになってしまった。無駄本を買わなくなった。

 まあ、こんな感じだがそれでも雑誌など紙媒体のメディアを買わなくなったわけではない。現に文庫など、ネットでうまく宣伝が効くものはうまく売れているのではないか? ネットがあることでベストセラーになった書だってあったはずだ。でも、雑誌はネットで宣伝しにくいものっていう部分で不利なのかもしれないけどね。

 とにかく、ネットでただの情報にあふれているから雑誌や本が売れなくなったというのは、単なるマーケティングの失敗なのではないか、という気がする。そりゃ、現実世界にネットという媒体が出てきたのだから市場の条件は変わるでしょう。だからといって簡単に取って代わられるような単純なものでもありますまい。

 だから旧来のメディアがとるべきの一つは、専門性への特化でしょう。そのため値段が高くなっても消費者はぜんぜんよいと思うよ。そうしないと広告費で運用されているネットのコモンディティな情報群に埋もれてしまう。紙媒体としてふさわしい姿というのは、持っていてうれしくなる所有する喜びの実現であり、繰り返し見られるための十分な内容であるべきだ。よくある言葉でいうならブランドの確立だ。雑誌が3,000円しても内容がよいなら売れる。

 こんなことを書いているには、最近ネットってめんどくさーと思い始めてきたからだ。だから雑誌など旧メディアには相当期待してるのだ。ネットは余計な広告は入るし、内容も適当なときがあるし、商業的にやっているのかそうでないのか区別はつかないし、ソフトの使い方を調べて個人のサイトに入ったりすると、どうも不親切だったり。つまり骨太な体系的なものがネットには置いていないのである(そうじゃないのももちろんあるよ)。これと同じことを雑誌がやっちまったら、金を払う分だけ当然敬遠されるっしょ。
 
 断言したい。
 この玉石が混じった情報の海はやがてそっぽを向かれる。より正確に表現するなら、現状の検索エンジンが提供する情報世界はやがて飽きられる。現状の私たちが構成する何ににも特化していない情報で満たされているweb世界はやがて飽きられる。一昔前なら面白かった個人の日記も今は誰もみない。ちょっと立派なことを書いてあるようなブログでも、誰も訪問しなくなる。もうトレンドは変わったのだ。一旦、汎用な人々の情報ですっかり満たされてしまったのだ。こうなると情報の色彩の区別はつかないし、ちょっとくらい違っていてもどうでもよくなる。
 
 もしかしたら“情報”そのものに人間は飽きるかもしれない。言語を基調とした情報に人間は食あたりを起こすかもしれない。そうなった時、再び浮上するのは体験知や五感で感じる“嬉しさ”なのかもしれない。パソコンが使えるよりも、郷土料理を作れてみんなに振舞えるようが、ずっとずっと人間として素敵なこととして認識される、というかそういうトレンドになりそうな気がする。
 
 ビジネス用途の情報はまたちょっと違うだろうけどね。
 なんか話がずれたな。
 
00:12 | ひとりごと | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

殺意を覚える「一口ちょうだい」

 今から心の小さいことを書きますぜ。
 題名を読んで賛同できない人、そういう覚悟でお読みください。

 
 「一口ちょうだい」


 これ、大っっっ嫌いです!!!!
 
 特に友人同士で昼食食べているときにやられると、本当に殺意を覚えますね。きっと自分の血統は貧しい農民だったのでしょう。食べ物を取られると、本能的に許せなくなってしまんです。特に了承していないのに、一口くらいいいじゃん、とか言って3個しかないから揚げを一つ丸ごととっていく奴。ホント、いい加減にしてくれ! どんだけ楽しみにしていたと思ってるんだ。
 
 そりゃ、こっちとしても多少は嫌な顔するかもしれないけど、しょうがないなみたいな態度ですよ、基本。なんでかって、食べモノくらいでケチな男だと思われるのが嫌だしね。でもそれを分かってか分からずか「一口ちょうだい」を常習的にやるやつ! こればっかりは犯罪級でしょう。「代わりにコレあげるよ」って言われても、その食べ物に全然興味ないのですよ。俺のから揚げ返してくれ><
 
 「代わりにコレ」の態度も見せない奴。これは本当に本当に極刑モノですな。食べ物のことに限らず、ギブ&テイクの義理を忘れ、もらうポジションばかりに要る人は少しずつ少しずつ信頼を失っていくのがわかりませんか?
 
 「一口ちょうだい」ってやる人は本当に相手の感情を読んでほしい。嫌な人はホントに嫌だから。「一口ちょうだい」って言って、一瞬固まる人がいたらほぼ間違いなくその人は嫌だと感じているって。「一口ちょうだい」が当たり前でないことをわかってくれるだけでいいのですよ。頼みますぜ。
 

 
 
 潔癖症ゆえの「一口ちょうだい」嫌いではないので下記の場合は許せます。
 
 ・特別な外食(回し食べが許されている場での)
 ・パーティ形式の食事
 ・居酒屋とか
19:55 | ひとりごと | comments (0) | trackbacks (0) | edit | page top↑

捕鯨問題と捕鯨反対気分シミュレート

 近頃、捕鯨問題が活性化している。活性化してくれているのは、主にオーストラリアの環境団体だ。グリーンピースもびっくりの過激派シーシェパードがニュースを騒がしている。でもってオーストラリア政府も捕鯨には反対の立場なので、今日本はオーストラリアにめちゃめちゃ嫌われているかもしれないなあ。友人に来年豪州にワーキングヒリデーしにいく人がいるんだが、ちょっと心配だよなあ。
 
 過去の当ブログのエントリーに捕鯨問題について書いたことがあった。(http://glassbottle.blog65.fc2.com/blog-entry-171.html)
 単純に言うと、科学的な根拠を持ち出しても聞かないやつは全く聞かないから、いっそ感情むき出しで喧嘩してしまえば? という投げやり提案だ。でもこれをやったら相当面白いだろうなあと思っていた。結局人間同士のやり取りなんて、感情のやり取りなのであるから、科学なんて小賢しいもので覆わずぶつかり合ったほうがわかってくることも多いんじゃないの? っと言いたいのだ。
 
 で、半分冗談で提案したのだが、なんだかオーストラリア側の方から仕掛けてきた(笑) 船員二人を人質にとった! とか事実を作りながら捕鯨船に嫌がらせをしてきている。感情のために事実すら作り上げる。これはある意味人間の性ってやつで人間行動学的に重要なサンプルがここにあるのではないか。なので、最近の捕鯨問題は見ていて本当に面白い。
 
 これに対する日本の反応はこれまた感情的になってきている。youtubeで豪州のやってきたことの残虐さを訴えたり、そもそも西洋人の身勝手さを叫んだりと、なかなかのものである。中にはネタ扱いして楽しんでいるやつもいて、この辺は平和的だ。しかし確実に“感情 対 感情”の構図が出来上がってきていて、これがどのように収束するのか興味深く見ていきたい。もしかしたら収束しないかもしれないが、“人間とはこんなものだ”っていう貴重な経験値になる。60年前の戦争の時代もこんな雰囲気だったのかもしれない。戦争よりも面白いのは、武力による解決が捕鯨問題の場合にないこと。どこまでいっても感情のやり取りになる。

 豪州人が捕鯨問題にあそこまでムキになっている“気分”をシミュレーションしてみたい。ムキになっている理由なんて考えても、それは感情に対してもたらすものは少ないので、あくまで気分について考えてみる。気分シミュレートスタート。
 
 
 北海道近海に雪猫というとってもかわいい猫がいる。雪猫は日本人にとってパートナーである。日向で一緒にごろごろしたり、もふもうしたり、猫じゃらしでちょっかいだしたり、時にはねずみを取ってくれり。多くの日本人は雪猫を見るととっても和むのだ。
 しかし近頃、豪州人が北海道近海に船を出し、伝統的な食文化を主張し、ボーガンで雪猫を惨殺しまくっているそうだ。豪州側によると、雪猫の生息数は近年増加傾向にあり、調査目的に年千頭の捕獲ならば生態系に問題はないと主張している。しかし科学的に問題がないからといって、あの白くてやわらかい雪猫に何のお情けもなくボーガンの矢を打ちこむなんて考えられるだろうか? ボーガンを打ち込まれた雪猫は悲痛な叫びを残し絶命する。白い毛皮が深紅の血に染まるのだ。ああ! かわいそうに! 北海道の女子高生が泣きながら雪猫捕獲阻止を訴えた。プラカードには“雪猫は私たちのパートナーです”と書かれている。しかし豪州の態度に変化はなく、今日もちゃくちゃくと科学的根拠とやらを集めるため、北海道近海に船を出し調査している。血も涙もない人間とはこのことか! 人類の残虐性に終止符が打たれる時代はまだ来ない……
 
 
 気分的には確かにこうなるかも……
 この問題難しくねーかい?
 
 
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