自分の居場所 取捨選択

 今日は、大学のサークルと飲み会。開催前はそんなに気が乗らない気もするのだが(変な日本語……)始まってしまうと、他のどんな集まりよりも落ち着いて話したり、飲んだりできる。きっとみんな自分の居場所が認識できているからなんだろうな。この集まりで四年間(+二年)過ごしてきたのだから。

 飲み会中、一人の友人が「もうこの集まりで六年になるよね!? これって小学校一年から六年まで一緒だったのと同じじゃない?」と一言。確かにそうだ。年だけ考えればその通りだ。サークルとクラスメイトで違いはあるものの、これからも十分大切にしていける、というか大切にしていかなくてはならないグループなのだなと思った。年月の積み重ねがそれをほほえましく保証してくれている。その言葉で、不思議に嬉しい責任感が沸いた。

 自分の居場所について考える機会は多い。こういう人に囲まれていたいとか、こんな先輩を持ちたい、尊敬できる人が近くにいたら頑張れる、とか実に色んな欲求を抱えて。けれど、そういうものは手に入らないことの方が多い。それであーだこーだ考えたりする。でも環境やタイミングによって自分の居場所は、おわんの中に投げ入れた球が、中心部で運動を収めてしまうように、無理のない形で決まっていく。そしてそこから見た景色に対してまた色んなことを思うわけだが。

 今、収まった自分の居場所についてどう考えるべきか。こう考えた時、自分はあるアマチュア劇団の冊子に書かれていた文章を思い出す。

「今自分のいる場所がもっとも自分に合った場所なんだ」

 ある種の諦めのような心持ちをしている、とも感じるが、もっと強くポジティブな感覚としても捉えられる。この言葉に出会った時、非常に強い安心感を覚えた。もっと自分の作ってきた環境や作られた居場所を誇らしく重い、そして大切にしていいんだ。もっと周囲の人たちを愛すべきなんだと。

 自分が今までかかわってきた全ての関係を大切にすることは無理だ。けれど、この関係だけは大切にしたい。そう強く決心した飲み会でした。
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