雑誌が売れないとかネットのせいだとか、情報食あたりとか

 近年、雑誌が売れないという雰囲気になっているらしい。某有名ブログでもそんな内容が取り扱われていて、そのでの意見は“ネット”におされているから、ということらしい。ネットにそれほど精通していない自分としては、そんなにネットってすごいの? と思ってしまうのだが、よくよく生活パターンを点検してみるとなるほど、と思うところもある。

 まず調べ物はネットからである。でもって大抵ネットで十分である。きっとどこかの本にも詳しく書いてあるんだろうけど、そういう本は目をさらのようにして探さないとまずない。調べ物をする場合の、時間的コストはネットがぶっちぎりの一番である(あらゆる調べ物を平均化した場合ね)。

 本を探すのネットで探す。ネットからあるから、探せてしまう。あれこれ無駄なものを買わなくてすむようになってしまった。無駄本を買わなくなった。

 まあ、こんな感じだがそれでも雑誌など紙媒体のメディアを買わなくなったわけではない。現に文庫など、ネットでうまく宣伝が効くものはうまく売れているのではないか? ネットがあることでベストセラーになった書だってあったはずだ。でも、雑誌はネットで宣伝しにくいものっていう部分で不利なのかもしれないけどね。

 とにかく、ネットでただの情報にあふれているから雑誌や本が売れなくなったというのは、単なるマーケティングの失敗なのではないか、という気がする。そりゃ、現実世界にネットという媒体が出てきたのだから市場の条件は変わるでしょう。だからといって簡単に取って代わられるような単純なものでもありますまい。

 だから旧来のメディアがとるべきの一つは、専門性への特化でしょう。そのため値段が高くなっても消費者はぜんぜんよいと思うよ。そうしないと広告費で運用されているネットのコモンディティな情報群に埋もれてしまう。紙媒体としてふさわしい姿というのは、持っていてうれしくなる所有する喜びの実現であり、繰り返し見られるための十分な内容であるべきだ。よくある言葉でいうならブランドの確立だ。雑誌が3,000円しても内容がよいなら売れる。

 こんなことを書いているには、最近ネットってめんどくさーと思い始めてきたからだ。だから雑誌など旧メディアには相当期待してるのだ。ネットは余計な広告は入るし、内容も適当なときがあるし、商業的にやっているのかそうでないのか区別はつかないし、ソフトの使い方を調べて個人のサイトに入ったりすると、どうも不親切だったり。つまり骨太な体系的なものがネットには置いていないのである(そうじゃないのももちろんあるよ)。これと同じことを雑誌がやっちまったら、金を払う分だけ当然敬遠されるっしょ。
 
 断言したい。
 この玉石が混じった情報の海はやがてそっぽを向かれる。より正確に表現するなら、現状の検索エンジンが提供する情報世界はやがて飽きられる。現状の私たちが構成する何ににも特化していない情報で満たされているweb世界はやがて飽きられる。一昔前なら面白かった個人の日記も今は誰もみない。ちょっと立派なことを書いてあるようなブログでも、誰も訪問しなくなる。もうトレンドは変わったのだ。一旦、汎用な人々の情報ですっかり満たされてしまったのだ。こうなると情報の色彩の区別はつかないし、ちょっとくらい違っていてもどうでもよくなる。
 
 もしかしたら“情報”そのものに人間は飽きるかもしれない。言語を基調とした情報に人間は食あたりを起こすかもしれない。そうなった時、再び浮上するのは体験知や五感で感じる“嬉しさ”なのかもしれない。パソコンが使えるよりも、郷土料理を作れてみんなに振舞えるようが、ずっとずっと人間として素敵なこととして認識される、というかそういうトレンドになりそうな気がする。
 
 ビジネス用途の情報はまたちょっと違うだろうけどね。
 なんか話がずれたな。
 
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