靖国ばかり扱う新聞を批判する
08/23/2006 (Wed)
時期首相について書かれた新聞の社説…
■朝日新聞「自民党総裁選 麻生氏は引き立て役か」
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#syasetu1
■毎日新聞「自民党総裁選 麻生、谷垣氏はもっと奮起を」
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20060822k0000m070128000c.html
各紙とも社説の題名だけを見れば、自民党総裁戦に関して安部氏の対立候補に何かしら注文をつけている内容であると分かる。時期首相の行う仕事は山ほど考えられる。しかしながら二つとも社説欄の半分を使って論じるのは靖国問題なのである! 私にはどうも日本の問題の50%以上を占める問題であるようには思われない。
つまり自分は靖国問題がどうも大きく論じられすぎているような気がしてならないのである。そういえば小泉首相もそんなことを言っていた。「靖国問題を大きく取り上げようとする勢力がある」と。全くその通りだと思う。
次期首相の仕事はたくさんある。
・日本経済の回復・拡大軌道を維持、増進させること
・社会の格差を調整すること
・少子・高齢化社会への対策
・国内の環境問題
・憲法改正
・教育改革
・年金問題
などなど、内政問題だけとっても山ほどある。
細かく見ていったならば無数にあると言ってよい。
次の4年の任期でどれだけの仕事ができるのだろう?
おそらくすべては無理ではないか。
で、なぜ靖国問題に次期首相を論じる社説欄の半分も使うのか。
国民が大いに関心を持っているから?
中国・韓国から非難がものすごいから?
私は新聞の怠慢を指摘したい。
靖国問題を論じるのは楽で(本当は楽ではないが)、関心を引きやすい。
参拝する首相に対し、論説委員の持つ常識を対応させればよいから楽なのだ。
一方、既述のように日本には問題が山積みである。
これらの検証を行わないで靖国問題に終始する、これを怠慢と言わず何と言おうか?
それよりも国民が気が付かない、注目していない問題について指摘するのがマスメディアの仕事であろう、新聞であれテレビであれ。
もっと環境問題を論じよ。
もっと福祉を論じよ。
必要な情報を提供しないのは戦前の新聞がやったことと同じである。
戦争責任?
ジャーナリズム宣言?
ふざけないで頂きたい。
靖国問題をどう論じようが好きに論じて構わない。
だが、他の問題を埋没させないでもらいたい。
このままでは新聞はシンクタンクなどによってその役割を奪われかねない。
ある問題を論じるなら地道にデータを収集し検証するシンクタンクの方が適任であり正確であろう。
ジャーナリストのする仕事は、そのバランス感覚を持って何を論じるか考えることだ。今、それが失われているように感じる。
■朝日新聞「自民党総裁選 麻生氏は引き立て役か」
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#syasetu1
■毎日新聞「自民党総裁選 麻生、谷垣氏はもっと奮起を」
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20060822k0000m070128000c.html
各紙とも社説の題名だけを見れば、自民党総裁戦に関して安部氏の対立候補に何かしら注文をつけている内容であると分かる。時期首相の行う仕事は山ほど考えられる。しかしながら二つとも社説欄の半分を使って論じるのは靖国問題なのである! 私にはどうも日本の問題の50%以上を占める問題であるようには思われない。
つまり自分は靖国問題がどうも大きく論じられすぎているような気がしてならないのである。そういえば小泉首相もそんなことを言っていた。「靖国問題を大きく取り上げようとする勢力がある」と。全くその通りだと思う。
次期首相の仕事はたくさんある。
・日本経済の回復・拡大軌道を維持、増進させること
・社会の格差を調整すること
・少子・高齢化社会への対策
・国内の環境問題
・憲法改正
・教育改革
・年金問題
などなど、内政問題だけとっても山ほどある。
細かく見ていったならば無数にあると言ってよい。
次の4年の任期でどれだけの仕事ができるのだろう?
おそらくすべては無理ではないか。
で、なぜ靖国問題に次期首相を論じる社説欄の半分も使うのか。
国民が大いに関心を持っているから?
中国・韓国から非難がものすごいから?
私は新聞の怠慢を指摘したい。
靖国問題を論じるのは楽で(本当は楽ではないが)、関心を引きやすい。
参拝する首相に対し、論説委員の持つ常識を対応させればよいから楽なのだ。
一方、既述のように日本には問題が山積みである。
これらの検証を行わないで靖国問題に終始する、これを怠慢と言わず何と言おうか?
それよりも国民が気が付かない、注目していない問題について指摘するのがマスメディアの仕事であろう、新聞であれテレビであれ。
もっと環境問題を論じよ。
もっと福祉を論じよ。
必要な情報を提供しないのは戦前の新聞がやったことと同じである。
戦争責任?
ジャーナリズム宣言?
ふざけないで頂きたい。
靖国問題をどう論じようが好きに論じて構わない。
だが、他の問題を埋没させないでもらいたい。
このままでは新聞はシンクタンクなどによってその役割を奪われかねない。
ある問題を論じるなら地道にデータを収集し検証するシンクタンクの方が適任であり正確であろう。
ジャーナリストのする仕事は、そのバランス感覚を持って何を論じるか考えることだ。今、それが失われているように感じる。
いわゆる靖国問題について雑感
08/08/2006 (Tue)
本当に日本人による問題、として考えたい。
私たち日本人はA級戦犯に代表される(されてしまう)いわゆる戦争犯罪人を許すのか、どうか。そして許しとはどういうことなのか?
たくさんの人間が殺しあったあの時代、それを想像してみる。
事実と呼ばれるものは、ネットにも新聞にも学者の頭の中にも溢れるほど存在している。けれどそれらに頼り切る前に頭の中で想像を巡らせてみる。
戦場で間違った判断を下したため、部下を大勢亡くした将校もいるだろう。
人を殺しすぎて感覚が麻痺し、さらに殺しに走った兵士もいるかもしれない。
最低なやつが最低の結果を生み出すとは限らない。
責任感と正義感を持つ青年は、戦争で親を亡くし一人になった少年を殺してしまったことだってあるかもしれない。
保身に走った政治家の判断が、結果的に人を救ったことだってあるかもしれない。
それぞれの意思とは性質の異なる結果が、各人に共有されていることを僕は想像する。
そして「罪」という概念。
誰かが罪を定め、後世の人間はそれを基準にその人の人格を想像する。
この罪は、罰を受けることで許されるのだろうか?
東京裁判で罪と罰を定めたのはキリスト教世界の住人たちだ。
彼らはキリスト教徒でない、日本人の戦犯の罪を、罰が執行された後許してくれたのだろうか?
いや、おそらくそれは考えられない。戦勝記念日の様子を考えれば想像にたやすい。
話が若干それた。「他者」の感覚を議論しているのではなかった。
私たち日本人はA級戦犯を許すのか?
許すこととは何か?
許すこととはその人間の命を救うことではない、人間の尊厳を回復させてあげることだと僕は思う。
どんな罪を犯した人間でも、一定の罰を受けたならば(それが死刑であっても)尊厳だけは回復させよう、そんな意思が「許し」なのではないか?
そして平和を希求し、維持するためにはそのような許しの精神が必要だと僕は思う。いつまでも許されないのならば、罪や罰はなんのためにあるのだろう? 被害を受けた人間の気晴らしのためか? 短期的にはそれもあるだろう。しかしそれ以上の意味も双方にあるはずだ。許しはパンドラの箱の中の最後の希望なのだ。
私たちは神様のように誰かの罪を完全に施せるほど万能ではない。
特に戦争という多種多様な要素が入り混じった出来事に対して、いつまでも悩み続けるのは当然のことであって、罪の確定などいささか傲慢なのではないか。
だから私たちが想いを馳せるのは現実的な個人の罪の重さではなく、
戦争という事態の異常さ、虚しさ、痛み、血の匂い、そういうものであるべきだと思う。
A級戦犯は戦争を主導的に行ってきた責任者だ。
彼らは「結果」について責任を負わねばなるまい。責任=罰と考えてもよい。
だから今、分祀の対象者として扱われたり、悪者扱いされてもある程度仕方ないのではないか。
それでも、彼ら日本人を許すのは、同じ私たち日本人しかできない。
彼らの意思や行為、罪に思いを馳せるのは私たち日本人の責任でもある。
許すのは今でなくていい。
でも100年後、200年後には許そうではないか、と思う。
※ただ、もし自分の家族が殺されたら僕は犯罪者を一生許さないだろう。場合によってはその犯罪者を自分の手で最大限の苦痛を味あわせ殺したいと思うだろう。
私たち日本人はA級戦犯に代表される(されてしまう)いわゆる戦争犯罪人を許すのか、どうか。そして許しとはどういうことなのか?
たくさんの人間が殺しあったあの時代、それを想像してみる。
事実と呼ばれるものは、ネットにも新聞にも学者の頭の中にも溢れるほど存在している。けれどそれらに頼り切る前に頭の中で想像を巡らせてみる。
戦場で間違った判断を下したため、部下を大勢亡くした将校もいるだろう。
人を殺しすぎて感覚が麻痺し、さらに殺しに走った兵士もいるかもしれない。
最低なやつが最低の結果を生み出すとは限らない。
責任感と正義感を持つ青年は、戦争で親を亡くし一人になった少年を殺してしまったことだってあるかもしれない。
保身に走った政治家の判断が、結果的に人を救ったことだってあるかもしれない。
それぞれの意思とは性質の異なる結果が、各人に共有されていることを僕は想像する。
そして「罪」という概念。
誰かが罪を定め、後世の人間はそれを基準にその人の人格を想像する。
この罪は、罰を受けることで許されるのだろうか?
東京裁判で罪と罰を定めたのはキリスト教世界の住人たちだ。
彼らはキリスト教徒でない、日本人の戦犯の罪を、罰が執行された後許してくれたのだろうか?
いや、おそらくそれは考えられない。戦勝記念日の様子を考えれば想像にたやすい。
話が若干それた。「他者」の感覚を議論しているのではなかった。
私たち日本人はA級戦犯を許すのか?
許すこととは何か?
許すこととはその人間の命を救うことではない、人間の尊厳を回復させてあげることだと僕は思う。
どんな罪を犯した人間でも、一定の罰を受けたならば(それが死刑であっても)尊厳だけは回復させよう、そんな意思が「許し」なのではないか?
そして平和を希求し、維持するためにはそのような許しの精神が必要だと僕は思う。いつまでも許されないのならば、罪や罰はなんのためにあるのだろう? 被害を受けた人間の気晴らしのためか? 短期的にはそれもあるだろう。しかしそれ以上の意味も双方にあるはずだ。許しはパンドラの箱の中の最後の希望なのだ。
私たちは神様のように誰かの罪を完全に施せるほど万能ではない。
特に戦争という多種多様な要素が入り混じった出来事に対して、いつまでも悩み続けるのは当然のことであって、罪の確定などいささか傲慢なのではないか。
だから私たちが想いを馳せるのは現実的な個人の罪の重さではなく、
戦争という事態の異常さ、虚しさ、痛み、血の匂い、そういうものであるべきだと思う。
A級戦犯は戦争を主導的に行ってきた責任者だ。
彼らは「結果」について責任を負わねばなるまい。責任=罰と考えてもよい。
だから今、分祀の対象者として扱われたり、悪者扱いされてもある程度仕方ないのではないか。
それでも、彼ら日本人を許すのは、同じ私たち日本人しかできない。
彼らの意思や行為、罪に思いを馳せるのは私たち日本人の責任でもある。
許すのは今でなくていい。
でも100年後、200年後には許そうではないか、と思う。
※ただ、もし自分の家族が殺されたら僕は犯罪者を一生許さないだろう。場合によってはその犯罪者を自分の手で最大限の苦痛を味あわせ殺したいと思うだろう。
いわゆる靖国問題
08/05/2006 (Sat)
今日は猛暑! 列島全体がゆで上がった日に違いない。
自分はバイト先のビルの中にいたので実はなんともなかったが。
さて今日バイト先で突然、靖国神社参拝の話題になった。
ニュースで安部官房長官が4月15日に靖国参拝をしていた、というのが
流れたのがきっかけなのだが。まあ、国論を二部する問題だ。
なかなか意見を言う勇気が出なかった。
年配女性「戦没者に哀悼の意を捧げるのは良い。しかし靖国神社の性格を考えるべきだ」
理系博士課程後期の人「8月15日に参拝してほしい。他人、他国から言われてやめる筋合いはない。参拝は自由だ」
と二分。うーん、たしかに靖国に参拝するかどうかという「答え」自体は二つしかないんだが、それに至るまでのプロセスがみんな微妙に違っている。
そしてプロセスが日本人的な感じで実は微笑ましい。
・近隣諸国との関係のため
・誰かに言われてやめるべきではない
とまあ、思考の中に必ず「他者」が存在している。神とか絶対者のような存在がない、または希薄だからなのかもしれないが、ある原則やなにか規律で以って判断しているわけでもなさそうなのだ。
新聞の社説などを見ると、ある新聞は
「中国や韓国から批判が来るから靖国参拝を中止しろ、というのは理由の一つに過ぎない。A級戦犯が合祀された靖国神社を政府関係者が参拝することはどういう意味を持つのか考えよ。戦争の過ちと責任を認め、その過去と決別することが、戦後日本の再出発の原点だ。国を代表する首相の靖国参拝は、その原点を揺るがせてしまう。だから、私たちは反対しているのである」
と主張している。
一見、他者である中国や韓国、その他国際社会に対する配慮は反対の主要な理由ではないように見える。だがこの考えにすら他者がちゃっかりと存在していると思われる。揺るがされる原点を観測するのは他者である。それが気に入らないのだ。
確認しておきたいが、他者が存在する考えにケチをつけたいわけではない。むしろ堂々とそう主張すればいいとさえ考えている。
でもその前に自前の事情を考えることも重要なんじゃないか、と自分は主張したいのだ。
つまり、私たち日本人はA級戦犯を許すのか、(※)ということを僕は問い、そして考えたいのだ。
※たぶん続く
※A級戦犯のみならず戦争した人間についても
自分はバイト先のビルの中にいたので実はなんともなかったが。
さて今日バイト先で突然、靖国神社参拝の話題になった。
ニュースで安部官房長官が4月15日に靖国参拝をしていた、というのが
流れたのがきっかけなのだが。まあ、国論を二部する問題だ。
なかなか意見を言う勇気が出なかった。
年配女性「戦没者に哀悼の意を捧げるのは良い。しかし靖国神社の性格を考えるべきだ」
理系博士課程後期の人「8月15日に参拝してほしい。他人、他国から言われてやめる筋合いはない。参拝は自由だ」
と二分。うーん、たしかに靖国に参拝するかどうかという「答え」自体は二つしかないんだが、それに至るまでのプロセスがみんな微妙に違っている。
そしてプロセスが日本人的な感じで実は微笑ましい。
・近隣諸国との関係のため
・誰かに言われてやめるべきではない
とまあ、思考の中に必ず「他者」が存在している。神とか絶対者のような存在がない、または希薄だからなのかもしれないが、ある原則やなにか規律で以って判断しているわけでもなさそうなのだ。
新聞の社説などを見ると、ある新聞は
「中国や韓国から批判が来るから靖国参拝を中止しろ、というのは理由の一つに過ぎない。A級戦犯が合祀された靖国神社を政府関係者が参拝することはどういう意味を持つのか考えよ。戦争の過ちと責任を認め、その過去と決別することが、戦後日本の再出発の原点だ。国を代表する首相の靖国参拝は、その原点を揺るがせてしまう。だから、私たちは反対しているのである」
と主張している。
一見、他者である中国や韓国、その他国際社会に対する配慮は反対の主要な理由ではないように見える。だがこの考えにすら他者がちゃっかりと存在していると思われる。揺るがされる原点を観測するのは他者である。それが気に入らないのだ。
確認しておきたいが、他者が存在する考えにケチをつけたいわけではない。むしろ堂々とそう主張すればいいとさえ考えている。
でもその前に自前の事情を考えることも重要なんじゃないか、と自分は主張したいのだ。
つまり、私たち日本人はA級戦犯を許すのか、(※)ということを僕は問い、そして考えたいのだ。
※たぶん続く
※A級戦犯のみならず戦争した人間についても
日本よ盛り上がれ!
07/27/2006 (Thu)
今日の夕食は焼肉だった。
研究室の後輩がバイトしている店に食べに行ったので2,000円で腹いっぱい食べることができた。
けっこう良い肉を使っている(と思われる)お店で、気持ち悪くなるまで食べた。
うーん、飽食の時代を生きている。
一方で世界の南側を見ると、今日食べるものもない人たちでいっぱいだ。
それほど南でなくとも少し西にもたくさんそんな人はいるだろう。
ふと財布の中を見てみる。一万円札が2枚。
これは親からの仕送りであり、また奨学金の一部だ。
これらの富の源泉は昔の日本人が作ったものだと思われる。
彼らが作った国。彼らが作った仕組み。感謝せねばなるまい。
金じゃなくとも、日本人が作った文化は生活に染み付いている。
これらは私たちは非常になんとなくであるが享受している。
それらは精神的に豊かになるものであったはずだ。
祭り。蛍狩り。浴衣。風鈴。夏だからそれらしいものをピックアップ。
残念ながら、これらは日本からは失われていると思う。
本当の豊かさとはこういったものに囲まれて、関与していられることではないか。
特に祭りは非日常を体験できる絶好の機会だ。
日常の圧力、評価から抜け出して、別世界で自分を発揮する。
祭りとは人がネットにこもらなくとも体験できる時間を与えてくれるものなんだと思う。
だが最近の若い人は(自分含めて)こういった行事に関与していない。
関与したいと思わせる魅力も失っている。
大人たちよ! もっと日本を盛り上げよう!
もっと楽しいはずなんだって!
研究室の後輩がバイトしている店に食べに行ったので2,000円で腹いっぱい食べることができた。
けっこう良い肉を使っている(と思われる)お店で、気持ち悪くなるまで食べた。
うーん、飽食の時代を生きている。
一方で世界の南側を見ると、今日食べるものもない人たちでいっぱいだ。
それほど南でなくとも少し西にもたくさんそんな人はいるだろう。
ふと財布の中を見てみる。一万円札が2枚。
これは親からの仕送りであり、また奨学金の一部だ。
これらの富の源泉は昔の日本人が作ったものだと思われる。
彼らが作った国。彼らが作った仕組み。感謝せねばなるまい。
金じゃなくとも、日本人が作った文化は生活に染み付いている。
これらは私たちは非常になんとなくであるが享受している。
それらは精神的に豊かになるものであったはずだ。
祭り。蛍狩り。浴衣。風鈴。夏だからそれらしいものをピックアップ。
残念ながら、これらは日本からは失われていると思う。
本当の豊かさとはこういったものに囲まれて、関与していられることではないか。
特に祭りは非日常を体験できる絶好の機会だ。
日常の圧力、評価から抜け出して、別世界で自分を発揮する。
祭りとは人がネットにこもらなくとも体験できる時間を与えてくれるものなんだと思う。
だが最近の若い人は(自分含めて)こういった行事に関与していない。
関与したいと思わせる魅力も失っている。
大人たちよ! もっと日本を盛り上げよう!
もっと楽しいはずなんだって!
オシム監督
07/25/2006 (Tue)
どうも巨人が弱いと野球が面白くない。
巨人が好きではなく、むしろアンチなのだがこうも敵が弱いと面白くない。
そういえばこの時間(9時半)に家に帰っていることはけっこう珍しい。
いつもダラダラと大学に残ってしまうのに…
シミュレーションが途中で原因不明のエラーで落ちるからだろう。
そういえばサッカー日本代表の監督がオシム監督に決まった。
テレビやネットが急にオシムジャパンと騒ぎ出したので
あれだけ馴染んでいたジーコジャパンの呼称が急に懐かしいものになってきた。
さてオシム監督は何かとその「言葉」が注目されている。
哲学的。
そんな評価がされているようだ。
哲学と聞くとなんだか高尚な知的な感じがする。
どれどれとその発言を見ると…
「考えながら走れ」
「走りすぎても死なない」
「走って走って走れ」
ああ! これいい!
その他にもいわゆる哲学的とされる発言はあったが、
「走れ」の言葉の方に目が行ってしまった。
そうだよ! 日本代表は走れなきゃダメだよ!
ワールドカップの日本戦、後半のあの情けない走り!
パスもとれない、FWに追いつけない…
それでもプロか!? と思ったよ!
某番組のインタビューでサッカー選手は日に1〜2時間しか練習しないそうだ。
それでインタビュー者が「サッカー選手は頭を使うことが大事」
なんて言ってたっけ。オシムはこれ以前の基本、「走る」ことの大事さを訴えている。
そうだ! ごちゃごちゃ言わず走れ日本代表!!!
巨人が好きではなく、むしろアンチなのだがこうも敵が弱いと面白くない。
そういえばこの時間(9時半)に家に帰っていることはけっこう珍しい。
いつもダラダラと大学に残ってしまうのに…
シミュレーションが途中で原因不明のエラーで落ちるからだろう。
そういえばサッカー日本代表の監督がオシム監督に決まった。
テレビやネットが急にオシムジャパンと騒ぎ出したので
あれだけ馴染んでいたジーコジャパンの呼称が急に懐かしいものになってきた。
さてオシム監督は何かとその「言葉」が注目されている。
哲学的。
そんな評価がされているようだ。
哲学と聞くとなんだか高尚な知的な感じがする。
どれどれとその発言を見ると…
「考えながら走れ」
「走りすぎても死なない」
「走って走って走れ」
ああ! これいい!
その他にもいわゆる哲学的とされる発言はあったが、
「走れ」の言葉の方に目が行ってしまった。
そうだよ! 日本代表は走れなきゃダメだよ!
ワールドカップの日本戦、後半のあの情けない走り!
パスもとれない、FWに追いつけない…
それでもプロか!? と思ったよ!
某番組のインタビューでサッカー選手は日に1〜2時間しか練習しないそうだ。
それでインタビュー者が「サッカー選手は頭を使うことが大事」
なんて言ってたっけ。オシムはこれ以前の基本、「走る」ことの大事さを訴えている。
そうだ! ごちゃごちゃ言わず走れ日本代表!!!
音楽と言葉のあいだ
07/03/2006 (Mon)
祝100HIT!
誰が見ているかわからないけど、カウンターは少しずつ上昇してきた。
誰かが見てくれているという事実は、大変励みになる。
偶然来てくれたあなたに感謝!
今日はクラシックのコンサートに出かけてきた。
曲目はブラームスの交響曲第3番。
誘われたので行ったのだが、正直ブラームスは苦手なので、
「きっと寝ちゃうだろうなあ」なんて考えていた。
ところがどっこい! この3番…"熱い!"
渋みのかかった情熱がじわじわ噴出されるような曲だった!
ブラームスは暗いくてつまらない、という印象を開始5分で覆す演奏!
常に影を落とすような暗い世界に、確かに燃え滾る情熱を感じるのだ。
3楽章は有名なフレーズ。
悲しい過去の記憶をやさしく、しかし後悔の念も入り混じり思い出すようなメロディ。
誰かを慰めているの? いや違う。これはきっと自分に対しての旋律だ。
でもそれだけではない気がする。
僕が思うにこの感覚こそが音楽が音楽である理由だろう。
言葉はシンプルだ。
音楽でいうと、単フレーズ。オーケストラではない。
しかし音楽は音の重なり。
様々な思いが音に乗って重なり、誰かに届く。
僕らが発する言葉に比べて非常に脳の中の状態に近いのではないか?
意識・無意識に限らず、様々な考え、感情が私たちの頭の中にある。
我々はきっとそれを言葉で表現するのは、不自然かもしれない。
決められた型によってそれらをすくい出し、表現しなくてはならない。
その過程で、こぼれ落ち、成型され、初めの状態とは異なるものになっている。
言葉ではきっと本質的には役不足で、さらにうまく使わないと自分で自分を騙すことになりかねない。
ただ、それでも生きるために言葉は使わなくてはならないんだけれども。
誰が見ているかわからないけど、カウンターは少しずつ上昇してきた。
誰かが見てくれているという事実は、大変励みになる。
偶然来てくれたあなたに感謝!
今日はクラシックのコンサートに出かけてきた。
曲目はブラームスの交響曲第3番。
誘われたので行ったのだが、正直ブラームスは苦手なので、
「きっと寝ちゃうだろうなあ」なんて考えていた。
ところがどっこい! この3番…"熱い!"
渋みのかかった情熱がじわじわ噴出されるような曲だった!
ブラームスは暗いくてつまらない、という印象を開始5分で覆す演奏!
常に影を落とすような暗い世界に、確かに燃え滾る情熱を感じるのだ。
3楽章は有名なフレーズ。
悲しい過去の記憶をやさしく、しかし後悔の念も入り混じり思い出すようなメロディ。
誰かを慰めているの? いや違う。これはきっと自分に対しての旋律だ。
でもそれだけではない気がする。
僕が思うにこの感覚こそが音楽が音楽である理由だろう。
言葉はシンプルだ。
音楽でいうと、単フレーズ。オーケストラではない。
しかし音楽は音の重なり。
様々な思いが音に乗って重なり、誰かに届く。
僕らが発する言葉に比べて非常に脳の中の状態に近いのではないか?
意識・無意識に限らず、様々な考え、感情が私たちの頭の中にある。
我々はきっとそれを言葉で表現するのは、不自然かもしれない。
決められた型によってそれらをすくい出し、表現しなくてはならない。
その過程で、こぼれ落ち、成型され、初めの状態とは異なるものになっている。
言葉ではきっと本質的には役不足で、さらにうまく使わないと自分で自分を騙すことになりかねない。
ただ、それでも生きるために言葉は使わなくてはならないんだけれども。
NHK好きによるNHK擁護
06/25/2006 (Sun)
今、NHKがすこぶる評判が悪い。
冗談でNHKに就職しようかな〜なんて言うと
「今評判悪いよ。(仮に就職したとして)どこで働いてますかって聞かれたときに気まずいんじゃない?」
と大きなお世話クラスの発言。まあ、よく世相を表している。
一方、自分は非常にNHKに対して好印象を持っている。
無味乾燥な垢抜けていないニュースなんて最高だ。
余計な感情と意見が無いので、先入観なしに物事を考えられそう。
民間の、特にニュースステーションはNHKのそれと対極にあるように見える。
キャスターは余計なことべらべら喋り、雰囲気作りに必死で、
これはニュースではなく一つのエンターテイメントなのではないかと感じる。
悪いニュースがあったら、視聴者はキャスターとともに怪訝な表情を作り、
その意見の自分の意見のように、内に結晶化する。
確かにキャスターの言うことはある程度、ある幅を持って世間の意見の中に納まってはいる
(またはそう作られている、またはそのように誘導している)
しかし事実という「生もの」を扱っている以上、非常に不謹慎というか
演技くさいというか、商業主義的というか、うまい言葉が出ず申し訳ないが
似たような感覚を例示すると、料理をするときに素材を適当に扱うようなイメージ。
ここまで民間ニュース批判になってしまったので話を戻す。
不祥事がたて続きに起こり、評判の悪いNHKだがしばらく評判は悪いだろう。
だが、最近の民間の情けなさも相まってNHKの求心力は確実に回復すると思う。
ただそのスピードに関してはいうと、NHKの地味な体制からすると、
急激に評価が回復するイメージ戦略はうちにくいし
亀の歩みのように地味に確実に視聴者の評価を勝ち得てゆくしかない。
というわけでNHKには信念を持ってわが道を進んでもらいたい。
NHKの製作するドキュメンタリーなどは秀逸なものが多い。
そういうところに予算が使われるなら自分は喜んで受信料を払う。
冗談でNHKに就職しようかな〜なんて言うと
「今評判悪いよ。(仮に就職したとして)どこで働いてますかって聞かれたときに気まずいんじゃない?」
と大きなお世話クラスの発言。まあ、よく世相を表している。
一方、自分は非常にNHKに対して好印象を持っている。
無味乾燥な垢抜けていないニュースなんて最高だ。
余計な感情と意見が無いので、先入観なしに物事を考えられそう。
民間の、特にニュースステーションはNHKのそれと対極にあるように見える。
キャスターは余計なことべらべら喋り、雰囲気作りに必死で、
これはニュースではなく一つのエンターテイメントなのではないかと感じる。
悪いニュースがあったら、視聴者はキャスターとともに怪訝な表情を作り、
その意見の自分の意見のように、内に結晶化する。
確かにキャスターの言うことはある程度、ある幅を持って世間の意見の中に納まってはいる
(またはそう作られている、またはそのように誘導している)
しかし事実という「生もの」を扱っている以上、非常に不謹慎というか
演技くさいというか、商業主義的というか、うまい言葉が出ず申し訳ないが
似たような感覚を例示すると、料理をするときに素材を適当に扱うようなイメージ。
ここまで民間ニュース批判になってしまったので話を戻す。
不祥事がたて続きに起こり、評判の悪いNHKだがしばらく評判は悪いだろう。
だが、最近の民間の情けなさも相まってNHKの求心力は確実に回復すると思う。
ただそのスピードに関してはいうと、NHKの地味な体制からすると、
急激に評価が回復するイメージ戦略はうちにくいし
亀の歩みのように地味に確実に視聴者の評価を勝ち得てゆくしかない。
というわけでNHKには信念を持ってわが道を進んでもらいたい。
NHKの製作するドキュメンタリーなどは秀逸なものが多い。
そういうところに予算が使われるなら自分は喜んで受信料を払う。
老齢加算金廃止=かわいそうな老人?
06/14/2006 (Wed)
ちょっと前のテレビ番組の話。
朝9時ぐらいに放送しているニュース系番組だが
その番組で“生活保護を受けている人が高齢者である場合、いくらか支給額が増える”制度が廃止されるということを特集していた。
ちゃんとした言葉でいうと老齢加算廃止。
生活保護の支給額が減らされるのだから、対象となる人にとっては
つらい話である。いくらか同情する。
ただ、番組中ではあまりに「かわいそうな老人」という事を強調していた。
一人暮らしの老婆。
食事は一日一回、パンとコーヒーだけ。
風呂も夏場でさえ二日に一回。
孫の結婚式に出席するお金さえない。
「もう何のために生きているのかわからない。
生きているだけで迷惑をかけている気がして…
孫の結婚式に出られなかったのは今生の恥」
老婆は障害を持つ子供の世話もしていた。
画面がざらつく小さなブラウン管を見て一日を過ごす。
以上のような内容だった。悲痛だ。
まとも神経の持ち主ならば、同情を禁じえないだろう。
ただ、特集の趣旨、「老齢加算金の廃止」とどれほど関係があるのか、疑問に思った。
お金があれば、この老婆は幸せなのだろうか?
確かにある程度、生活の質を変えることはできるだろうが
それでももっと本質的なものが老婆の不幸せの要素ではないか?
(ここで自分が不幸せだと決め付けるのはやや傲慢か…
このような孤独な老人の問題はお金の問題だけではないと思う。
共同体の問題であり、モラルの問題であり、個人特有の問題でもある。
お金があっても不幸せな人間もいるし、その逆もある。
老齢換算金廃止=不幸な老人増加
という等式を成り立たせるため、同情を誘起させようとするのは
問題を矮小化しているように思える。
そしてこのような問題を解決するのは宗教や共同体だと思うのだが、いかがだろうか?
番組に同情したからといって、じゃあ結局私たちに何ができるの? と
考えたらかなり頭を悩ませた。
で、一つの答えとして、同情した人は宗教・共同体の路線で貢献を考えてはどうだろう? と思った。
朝9時ぐらいに放送しているニュース系番組だが
その番組で“生活保護を受けている人が高齢者である場合、いくらか支給額が増える”制度が廃止されるということを特集していた。
ちゃんとした言葉でいうと老齢加算廃止。
生活保護の支給額が減らされるのだから、対象となる人にとっては
つらい話である。いくらか同情する。
ただ、番組中ではあまりに「かわいそうな老人」という事を強調していた。
一人暮らしの老婆。
食事は一日一回、パンとコーヒーだけ。
風呂も夏場でさえ二日に一回。
孫の結婚式に出席するお金さえない。
「もう何のために生きているのかわからない。
生きているだけで迷惑をかけている気がして…
孫の結婚式に出られなかったのは今生の恥」
老婆は障害を持つ子供の世話もしていた。
画面がざらつく小さなブラウン管を見て一日を過ごす。
以上のような内容だった。悲痛だ。
まとも神経の持ち主ならば、同情を禁じえないだろう。
ただ、特集の趣旨、「老齢加算金の廃止」とどれほど関係があるのか、疑問に思った。
お金があれば、この老婆は幸せなのだろうか?
確かにある程度、生活の質を変えることはできるだろうが
それでももっと本質的なものが老婆の不幸せの要素ではないか?
(ここで自分が不幸せだと決め付けるのはやや傲慢か…
このような孤独な老人の問題はお金の問題だけではないと思う。
共同体の問題であり、モラルの問題であり、個人特有の問題でもある。
お金があっても不幸せな人間もいるし、その逆もある。
老齢換算金廃止=不幸な老人増加
という等式を成り立たせるため、同情を誘起させようとするのは
問題を矮小化しているように思える。
そしてこのような問題を解決するのは宗教や共同体だと思うのだが、いかがだろうか?
番組に同情したからといって、じゃあ結局私たちに何ができるの? と
考えたらかなり頭を悩ませた。
で、一つの答えとして、同情した人は宗教・共同体の路線で貢献を考えてはどうだろう? と思った。
秋田小一殺人事件の連日の報道について
06/12/2006 (Mon)
最近テレビが面白くない。非常に面白くない。
十代の頃は毎日飽きもせず、ニュースでもなんでも食い入るように
見ていたのに(ドラマは全く見なかったが)今では
「あ、時間のムダだ」なんて感じですぐ消してしまう。
頭のどこかで文句をすぐつけてしまう。
どんなに悲しいニュースをやっていても、くだらない詳細ばかり
報道するニュースは見ていて気分が滅入ってしまう。
秋田の小学一年生殺人事件の報道がこのところ毎日放送されているが
コメンテータが根拠の分からない、視聴者が賛同しやすい精神分析を
して逮捕者をバッシングしている。確かにこの逮捕者が殺害したなら
バッシングされてしかるべきであろう。
しかし「昔いじめられたから〜」「料理もろくに作らず〜」
という根拠を基に逮捕者の人格を糾弾していく、またはそのような
下地を作成していくシナリオ…
あなた方に一体何が分かるんだ?
あなた方は一体何に基づいているんだ?
あなた方のすべてを理解しているような感覚は何なんだ?
そんな憤りを私は感じている。
十代の頃は毎日飽きもせず、ニュースでもなんでも食い入るように
見ていたのに(ドラマは全く見なかったが)今では
「あ、時間のムダだ」なんて感じですぐ消してしまう。
頭のどこかで文句をすぐつけてしまう。
どんなに悲しいニュースをやっていても、くだらない詳細ばかり
報道するニュースは見ていて気分が滅入ってしまう。
秋田の小学一年生殺人事件の報道がこのところ毎日放送されているが
コメンテータが根拠の分からない、視聴者が賛同しやすい精神分析を
して逮捕者をバッシングしている。確かにこの逮捕者が殺害したなら
バッシングされてしかるべきであろう。
しかし「昔いじめられたから〜」「料理もろくに作らず〜」
という根拠を基に逮捕者の人格を糾弾していく、またはそのような
下地を作成していくシナリオ…
あなた方に一体何が分かるんだ?
あなた方は一体何に基づいているんだ?
あなた方のすべてを理解しているような感覚は何なんだ?
そんな憤りを私は感じている。
hpの5150について
06/07/2006 (Wed)
調子に乗って、PCレビュー第3弾。
自分のメインPC「dx5150MT」についていくつか。
このPCはhpのデスクトップPCで廉価なディスプレイと一緒に販売される機種だ。主な仕様は以下の通り。
sempron 3000+
メモリ 1G
HD 160G
チップセットとかは知らん。
ディスプレイと合わせて9万弱で購入したが値段の割りによく働いてくれるPCだ。
pentium 4に負けない機敏さ。
Officeもさくさく。
ただHDの音がうるさいのが欠点だ。これさえなければ特に問題はない。
あ、CD-ROMも結構うるさい。
特にトラブルなどは発生していない。
ついでにhpはサポートの電話も非常に親切だった。
ケースもそれほどふにゃふにゃではなく、没個性な感じが飽きなくてよい。
特に工具は必要なく、ケースを開けれるようになっているので
たまのほこり掃除も楽だ。HDのうるささを我慢できる人おすすめ。
自分のメインPC「dx5150MT」についていくつか。
このPCはhpのデスクトップPCで廉価なディスプレイと一緒に販売される機種だ。主な仕様は以下の通り。
sempron 3000+
メモリ 1G
HD 160G
チップセットとかは知らん。
ディスプレイと合わせて9万弱で購入したが値段の割りによく働いてくれるPCだ。
pentium 4に負けない機敏さ。
Officeもさくさく。
ただHDの音がうるさいのが欠点だ。これさえなければ特に問題はない。
あ、CD-ROMも結構うるさい。
特にトラブルなどは発生していない。
ついでにhpはサポートの電話も非常に親切だった。
ケースもそれほどふにゃふにゃではなく、没個性な感じが飽きなくてよい。
特に工具は必要なく、ケースを開けれるようになっているので
たまのほこり掃除も楽だ。HDのうるささを我慢できる人おすすめ。
恋愛ソング大量生産批判
05/27/2006 (Sat)
時々何かを主張したくなる。
それは後で考えると非常にどうでもよいこと内容であることが多い。
それでも主張しますぜ。
最近、というかここずっ〜と『恋愛』の歌詞で歌が溢れていませんか!?
日本人はそろそろ飽きないのだろうか?
ヒットする曲がほとんど恋愛をテーマとするものだ。
某アーティストのCDの宣伝文句は
『共感しやすい恋愛について歌詞世界を創りました』とか
『恋の切なさをポップでキャッチーに歌い上げた究極のハートウォーミング…』
中身のない強い意味の修飾語だけが、恋愛というテーマの周りをくるくると滑稽に踊っている。
非常にカラフルに見えるが、どの言葉も原色のどぎつい光沢を隠さない。
中心にある恋愛テーマすらどうも心に響かず、なんとなく商業主義を邪推させてしまうのだ。
心が引っかかる時間が足りない。次々と歌が生産されていくからだ。
心が引っかかる質感が足りない。自分が悪いのだろうか?
CDが売れないのは、商品に差別化が足りないからだ。
誰か孤島に住む老人の気持ちを歌った奇特な歌を作ってくれないだろうか?
そんな人をアーティストとひとまず呼びたい。
それは後で考えると非常にどうでもよいこと内容であることが多い。
それでも主張しますぜ。
最近、というかここずっ〜と『恋愛』の歌詞で歌が溢れていませんか!?
日本人はそろそろ飽きないのだろうか?
ヒットする曲がほとんど恋愛をテーマとするものだ。
某アーティストのCDの宣伝文句は
『共感しやすい恋愛について歌詞世界を創りました』とか
『恋の切なさをポップでキャッチーに歌い上げた究極のハートウォーミング…』
中身のない強い意味の修飾語だけが、恋愛というテーマの周りをくるくると滑稽に踊っている。
非常にカラフルに見えるが、どの言葉も原色のどぎつい光沢を隠さない。
中心にある恋愛テーマすらどうも心に響かず、なんとなく商業主義を邪推させてしまうのだ。
心が引っかかる時間が足りない。次々と歌が生産されていくからだ。
心が引っかかる質感が足りない。自分が悪いのだろうか?
CDが売れないのは、商品に差別化が足りないからだ。
誰か孤島に住む老人の気持ちを歌った奇特な歌を作ってくれないだろうか?
そんな人をアーティストとひとまず呼びたい。


